「あれっ? あれれれ?」と、いきなり左手くん。
「えっ、なに、なに?」と、右手くん。
「いやー、びっくりした」
「いったい、どしたの?」
「ぐーがさ、いつのまにか、ちゃんと握れるようになってるんだ」
「すごい! ようやく完治したんだ。おめでとう! 左手くん」
「いやー、夢みたいだよ。ありがとう、右手くん」
左手くんの手の甲の骨には、2本のビスが入っている。正しくは小指の根元の中手骨。ビスはチタンだ。5年前の雪の日、まだ元気だったびっきーに突然リードを引っ張られ手をついて骨折し、手術。その後ビスは入ったままになっている。
「リハビリするほどのことはないでしょう。頻繁に使う場所ですから」
医師に言われるまま、特別なリハビリはせず普通に使ってきた。
不便はなかったが、こぶしを強く握っても小指は以前ほどには曲がらず、手のひらにくっついて収まることはなかった。なかったが、まあこんなもんだろうと思っていた。大袈裟に言えば、一生このままなのだろうと。
「不便はなかったけど、ちゃんと治るってうれしいもんだねえ」
「ほんとだねえ。治ったと思った瞬間って、感動するよね」
右手くんも3年ほど前、frozenshoulder(五十肩)の強い痛みに悩まされていた。先の見えない痛みの連続との闘いは、辛いものだった。その頃わたしには、左手くんと右手くんの会話が聞こえるようになったのだ。
「でもさ、なんで治らないって思いこんでたんだろう?」
「ほんと。理由もなく、こんなもんだろうなんて思っちゃってさ」
「偶然だけど、ヨガで指の体操をしたのがよかったのかも」
「思いこまずに、何かをしてみるのって大切なんだよね、きっと」
最近、同じようなことがあった。
未明に目が覚めて眠れない日が続いていた。それを単純にも歳のせいだと思いこんだ。歳をとると早起きになるとよくいうではないか。50代、まあそんなものだろうと。しかし、ある日3時に目が覚めてあったかガウンを着て横になったらぐっすり眠れたのだ。肩が冷えていただけだったのだろう。右手くんの言う通り、まあこんなものだろうと思いこまずに何かをしてみるって大切なことだ。
「あれっ? あれれれ?」と、ふたたび左手くん。
「えっ、今度は、なによ?」と、右手くん。
「窓の外、見てよー!」
「わっ、真っ白! 雪だあ!」
「もう今年の冬は、こんなもんで終わるだろうって」
「しっかり思いこんでたね……」
スタッドレスタイヤに替えなくてよかった。まあこんなものなのだろうと思いこまず、何かをしないということもまた、大切なのだった。
きのうの朝7時。北側の窓から撮った風景です。
カラーで撮ったのに、モノトーンの世界。
西側の庭。野鳥たちは、いずこに。
薪も、束ねた小枝も、雪にまみれていました。
蕾を膨らませた雪柳も、枝を重たそうにしならせて。
水仙の蕾は、凛と背筋を伸ばしています。
南天の紅葉した赤い葉っぱにも、春の雪の重みがずっしり。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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