あれは、いったい何なのだろう。
夜中に目が覚めたとき、急に思いつくことがある。
経理の仕事で、ひとつ確認を怠っていたことに気づく。
毎日かいているエッセイの、もっとぴったりくる言い回しが思い浮かぶ。
仕事部屋が寝室の隣りにあって、請求書や明細書のファイルが並んでいることもあるのだろうか。パソコンもすぐに開ける。夜中に起きだしてファイルを開いて確認することも、ブログの直しをすることもある。経理の仕事では、それに助けられたことも何度かある。常に気にかかっているということなのかも知れない。
それから、忘れていてもいいようなことを思い出すこともある。
ずっと気にも留めていなかったなつかしい歌のメロディが、聴こえ始める。
子どもの頃の何でもないワンシーンが、映像となって表れる。
母に言われた言葉を、ふと思い出すこともある。
思考の波。波が打ち寄せ、ひいていく。そしてその波がひいていくとき黒く濡れた砂浜に光るものを見つける。記憶の粒だ。ずっとどこかで気にかけていた粒はそこで光を放つ。なかにはただ波に洗われ一瞬だけ光るものもある。そう考えると、真夜中に見つける記憶の粒たちのからくりに説明がつくような気がする。
夢をすぐに忘れてしまうのは、一瞬大きく光り輝いたとしても、ただ一度きりの波に、すべてさらわれてしまうのだろう。
脳は考える。心は感じる。などと分けることなどできない。人間の身体、心、命。医学で解明されているものから説明のつかないものまですべてがつながっている。真夜中の思考の波がひいたときに見つける記憶の粒は、わたしにそう語りかけている。
きのうはもう、秋の空でした。空いっぱいに広がったうろこ雲。
夕暮れまで繰り返しいろいろな方向の空で、うろこ雲を変化させていました。
「脳は考える、心は感じる、などと分けることなどできない。人間の身体、心、命、医学で解明されているものから説明のつかないものまですべてつながっている。」
然り、と頷きました。
「科学者に宗教者が多いのは、科学の研究によって解明されればされるほど、奥深いものを感じて敬虔な惧れを感じるからではないだろうか」の言葉を思い出しました。
秋の空、うろこ雲、何て美しい!
私も清流の道と呼ばれる住吉川のほとりを散歩中、あ、と声が出るほど驚きました。これ、レンズ雲じゃあないの?と。慌てて携帯で写しました。
「空の名前」を久々に開きました。図書館で借りたこの本を買おうと思ったのは、1992年とありますから25年も前になりますが、見開きのレンズ雲の写真が強烈に残ったからではと言ってもいいのではないかしら。
このブログでも話題になりましたが、さえさんの言葉が残っています。
確か「人間の命名など関係なく、雲はさまざな姿に」って文言がありましたよね。
思いを巡らせている間に雲はどんどん形を変えてしまいましたが・・・。
Yasukoさん
科学者に宗教者が多いとは、初めて知りました。そう言われればそうかも知れませんね。
考えれば考えるほど、知れば知るほど、わからなくなり恐れを抱くということってありますよね。
うろこ雲、きれいでした。
このところ秋のような涼しい日が続いていますね。
空の秋の顔ですね。
『空の名前』ふとしたときに開くのが楽しい写真図鑑ですよね~♩
レンズ雲、美しいですよね。自然が作り出す美しさを感じます。
雲はどんどん形を変えていきますね。たぶん同じ形などないんですよね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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