記憶というものは、気づかないような場所にトリガーポイントを持っている。
例えば、夕暮れというにはまだ早い時刻、山並みを遠目に眺めながら散歩しているとき、ふと思う。
「ああ、東山魁夷の絵のようだな」
そして、もう何年も思い出すことのなかった友人の顔を不意に思い出し、ああ、彼女は東山魁夷の絵が大好きだったっけ。久しぶりに、連絡してみようかな、などと思ったりする。
また例えば、たまたま入った店で流れていたビリー・ジョエルのメロディに、なつかしく思い出す。高校の頃、あの子に教えてもらって、よく聴いたなあ、彼女、笑顔がとっても素敵だったな、とか。
また例えば、道端のたんぽぽを見て、そういえばと思い出す。中学の頃、何かで見つけたたんぽぽが出てくる詩を友達に見せたら、それが気に入った彼女は、長文にもかかわらず薄いピンクの下敷きに鉛筆でかき写したっけ。
「どうしてまた、下敷きに?」驚くわたしに、
「いいじゃん。そうしたいから」と、彼女は平然と答えたなあ、とか。
どんな詩だったのか、今ではすっかり忘れてしまったというのに、そのときの彼女の照れたような気どったような口調は、ありありと思い出すことができる。
風景にも、音楽にも、本や映画、ひと言の言葉にも、食べ物にも、たぶんトリガーポイントは、存在感を持つことなくひっそりと隠れている。
そして、花を見て思い出すシーンも多い。
花は、毎年咲き、そのたびに記憶の波は打ち寄せる。繰り返し、繰り返し、同じ出来事を思い出しているのかも知れない。そしてまた、思い出したときの気持ちや風景が、そこにプラスされていく。
思い出してなつかしく微笑むようなことも多いが、思い出したくないこともまた多い。けれど、このトリガーポイントの多様さと奥深さには、どうにもままならない。生きていくことって、そうして波がひき、また打ち寄せる、繰り返しのようなことなのかも知れないなあ。
道端に咲く、たんぽぽ。寒さ厳しい明野ではまだ、ほとんど見られません。
ホトケノザは、満開です。透明感のある紫がきれい。
ふきのとうもあちらこちらで、花を咲かせています。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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