映画『聲の形(こえのかたち)』をDVDで観た。原作は、大今良時の漫画だ。
主人公、高3の石田将也は、死のうと思っていた。自分が大嫌いだった。
小6のときに転校してきた先天性の聴覚障害を持つ西宮硝子を、将也はいじめていた。補聴器を投げ捨て、筆談用のノートを池に捨てた。しかし、将也のいじめが大人たちに発覚してから、立場は逆転した。将也のランドセルが池に捨てられる日が続くようになる。そしてそれは、中学に上がっても変わらなかった。
高校生になった将也は、心を閉ざす。常に下を向き誰の顔も見ない。心の耳をふさぎ何も聞こうとしない。そうすることでしか、生きていけなかった。
それももう終わりにしようと思った。だから、会いに行った。西宮硝子に、伝えたいことがあるような気がしていた。
硝子に会い、将也は手話を読み取ろうとしたり、聞き取りにくい硝子の声に耳を傾けるようになる。自分でも意識しないうちに、変わろうとあがき始める。
小6のとき、いじめに加担していた植野直花。そのとき、見てみぬふりをしていた川井みき。硝子と仲よくすることで不登校になった佐原みよこ。高校で後ろの席に座り「やーしょーは親友」だと言う永束友宏。いじめを受けた経験がありいじめを許すことができない真柴智。そして、硝子を守ろうと男っぽく振る舞う妹、結弦。彼らもまた、あがいていた。
「俺、生きてちゃマズい奴だから」と将也は思い、
「わたしなんか、いない方がいい」と硝子は思う。
わたしも、そんなふうに思ったことがあった。何もかもうまくいかない。それは、自分が生きているせいで、自分さえいなければ何もかもがうまくいくのだと。今もそんな黒い塊が、胸の奥にひっそりとした場所をつくっているのを感じる。心が疲れると、その塊がむくむくと大きくなる気がする。
将也は、硝子に言う。
「君に、生きるのを手伝ってほしい」
将也は顔を上げ、ふさいだ耳を傾けて、たぶんこれからを生きていくだろう。
自分のなかにある思いを、すべて正確に伝えることなんて、実際にはできない。生きていくってことは、そんなもどかしさを抱え続けていくことなのだ。
漫画『聲の形』(講談社コミックス)です。全7巻。
小6のときのふたりと、高3になったふたり。
映画のなかで、佐原が使った手話です。「会えて」
「うれしい」楽しいとうれしいは、同じ手話です。硝子に会えてうれしい。
将也と硝子がよく交わした「またね」
こちらは、将也が使った手話。「遊びに」
「行こう」硝子を誘うときです。「遊びに行こうよ」
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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