何かに導かれている。そう感じるときがある。
何日か前に「蓮の花と命」にかいたが、105歳で亡くなった日野原重明さんが多くの子どもたちに伝え続けた言葉「命は生きている時間そのもの。大人になったら、自分の時間を誰かのために使ってほしい」。これが、わたしのなかにずっと残っていた。そして漠然と湧いたのは「何か、しなくちゃ」という気持ち。
たぶんそれがあったから、いつも通り過ぎるだけの道の途中にある場所に、立ち寄ってみたのだと思う。
『フードバンク山梨』は、毎週ヨガに行く道の途中にある。
貧困に苦しむ子どもたちがいることはニュースなどで知っていたし、我が家には去年食べきれなかった玄米があった。だが、田畑の多い山梨では米は受け入れるところはないだろうと思いこんでいた。それでも、ものは試しだと、そのドアをくぐってみたのだ。
「いつも前を通っていて、気になっていて」
そう言いかけた途端、あれ? と前に立つ女性と顔を見合わせた。
彼女は、上の娘の同級生のお母さんだった。以前はずいぶん親しくしてもらっていて、その後もヴァンフォーレ甲府の応援にいくたびに、「今、スタジアムに来てる?」「サポーター席にいるよ」などとメールのやりとりをしていた。
「最近、ヴァンフォーレ応援に行ってないなあ」
「うちも」
そんなふうに、それぞれ3人いる子どもたちのことや彼女が職場を変えたことなど、たがいの近況をひとしきりしゃべった。
「お米は、足りてるかな?」
そう気軽に聞けたのも、彼女だったから。
「今は夏休みがあるから、ご飯が食べられない子が多いの。お米、去年のだったらぜひいただきたいです」
我が家のお米は近所の田んぼのもので、古米といっても美味しい。困っている子どもたちに食べてもらえるのは、ほんとうにうれしいことだった。
日野原さんのおかげかな、と思った。そしてもしかしたら、たくさんの人がこんなふうに何かしなくちゃと、小さな行動を起こしたのかも知れないとも。日野原さんの言葉を知ったことも、フードバンク山梨で彼女に会ったことも、偶然だとも言えるだろう。けれどやっぱり、何かに導かれているようにも感じるのだ。
これも何かのご縁だろうと思い、一口3,000円の寄付をして賛助会員になりました。これからも、応援していきたいです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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