信仰している宗教はないが、神様というものは、いるんじゃないかと思っている。たとえば、本の神様。それから、十円玉の神様。
今ではスマホやケータイでいつでもどこでも電話ができるが、20数年前までは、外から電話をするには公衆電話を探すしかなく、テレフォンカードなり小銭なりが必要だった。わたしが子どもの頃にはそのテレフォンカードすらなく、電話をかけるのに必要なものは、十円玉。近場なら1個で3分話せる十円玉だけだった。
だからこそ生まれた十円玉ストーリーも、数多く存在することだろう。かく言うわたしも、中学2年のとき、こんなことがあった。
「あのさ、悪いんだけど十円貸してくれない?」
学校内の公衆電話の前で、隣のクラスの女子が困った顔をしていた。
「いいよ」
わたしは、躊躇することなく応じた。よくあることだったのだ。
「サンキュー。助かった!」
彼女は、公衆電話に十円玉を入れ、ダイヤルし始めた。
「いえいえ」
わたしは、職員室前のその廊下を通り過ぎた。
さて。それから1週間ほどが経った。十円玉の彼女は、廊下で通り過ぎても何も言わず、目が合うと微笑むだけ。忘れているのかなあと思い、すれ違ったときに声をかけることにした。
「あのさ、こないだ十円貸したよね?」
すると彼女は、微笑みのなかに挑戦的なまなざしを見せ、言った。
「えっ? 借りてないよ」
「いや、ほら、公衆電話のとこで」
「だから、借りてないけど」
きっぱりとそう言い、ゆっくり立ち去ったのだ。
呆然とたたずむわたしに、同じクラスの女子が声をかけた。
「うわ、貸しちゃったの? あの子常習犯だから。もう何人もやられてるんだ」
「そうなの? むかつく! あー、でも十円くらいで先生に言うのも、ねえ」
「そうだね。逆にせこい奴だとか言われそう」
上手いところを突いている、というわけだ。
それからしばらくして、こんなことがあった。
駅の自動販売機でジュースを買おうとしたら、釣銭が入っているのが見えた。わたしの前に買った老婦人のものだろうと、声をかけた。
「あの、おつり、とり忘れていますよ」
しかし、老婦人はきょとんとした顔で言った。
「あら、ちょうどぴったり小銭を入れて買ったのに。おかしいわね」
「あ、でもおつり、入ってるんで」
とり出して彼女に渡そうとした。十円玉が2枚あった。すると彼女は、悪戯っぽい笑顔を見せた。
「半分こ、しましょうか」
「半分こ、ですか?」
彼女はわたしの手から、十円玉を1枚だけとって笑顔を残し、背筋をピンと伸ばして歩いていった。
「あのときの十円玉が、戻ってきた」
わたしは、そっと思った。中学で貸した十円玉である。十円玉の神様は、ちゃんと見ていてくれたんだって。
そして考えた。常習犯と言われる彼女は、いったい何枚の十円玉をくすねたのだろうか。もしも、十円玉の神様がちゃんと見ていたとしたら、この先何度も十円玉がらみのトラブルに巻き込まれることになるのだろう。そう思うと、ちょっとうれしかった。意地の悪い想像かも知れないけれど、十円くらいのことなのだから許してほしい。
スマホにスイカ、パスモにプリペイドカード。サインいらずのクレジットカード。小銭があまり使われなくなった時代である。十円玉の神様も、最近はのんびりしてるんだろうな。
いやいや。もしかしたら、コンビニ、レジ横の募金箱の上にあぐらをかきながら、忙しく立ち働くスマホやスイカの神様たちに豊かな経験を駆使してあれこれ指南するのに忙しく、昔はよかったなあなんて深くため息をついているのかも知れない。
小銭を貯める貯金箱は、クッキーの缶です。シックで気に入っています。
これでいくらくらいになるのかな? 寄付するところは東日本大震災の孤児を支援する『JETOみやぎ』です。一度話を聞きに行ったことがあります。
最近、公衆電話無いですね。
携帯電話が普及し便利になりましたが、反面暗記力は衰えてしまいました。以前は誰に電話する時も暗記している番号で、だいたいokでしたが今はボタン1つ。携帯なければ連絡取れません。電話ボックスが見つかっても、家族の番号もわからない状態です。
買い物もカード時代、子供たちも小銭を出す習慣は少ないようです。
さえさんの貯金箱可愛いですね。私も小銭貯めてます。
24時間テレビに毎年募金してます。今年は明日からですね。テレビも見ちゃいます!自分が元気に過ごしていてこと、感謝してます。
悠里さん
そうそう。公衆電話がないだけじゃなく、電話番号も覚えなくなりましたよね~住所録とかも持ち歩かないし。ケータイの電池切れとかになったら、困っちゃいますよね。
熱で寝ているあいだに、うつらうつらしながら、次のエッセイ教室で何をかこうか考えて十円玉のことを思い出しました。
推敲して出すつもりです。
24時間テレビ、楽しくチャリティってスタンスがいいですよね~♩
若い頃のお金の貸し借り。
私も嫌な思いをしたことがありますよ。
常習犯って、もう許せませんね~。
公衆電話。そういえば、先日泊まった、ランプの宿は公衆電話をかける人をちょこちょこ見ました。
まだまだ、なくせないところもあるのですね。
寄付を続けておられるのですね。
心をおく、継続するって大切なことですね。
ぱすさん
中学生の頃って、悪い子ってわけでもないのに虚勢を張ってそういうことしたがる子、いましたよねえ。
ランプの宿、公衆電話があったんですね。ますますレトロな雰囲気が伝わってきました♩いいな♡
明野には小中学校の前に公衆電話があります。登校に1時間以上かかる子もいるので、何かあったときには電話できるように、子どもたちに十円玉を持たせていました。
今は小学生でもスマホをもっている子が多いみたいですね。
うちやぱすさんの子ども達の頃が、過渡期だったんでしょうね~
寄付、思い出したようにという感じになってしまいましたが、それでも続けています。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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