根が臆病である。
何かに一生懸命になりすぎることが、怖い。
夢中になって懸命になって、勢いがつくと止まれなくなって、気がつくと事故っている。これまでそんなことが、何度かあった。
だから臆病になり、慎重になり、ゆっくりになり、一生懸命になりすぎないようブレーキを踏みながら進むのが、いつのまにかわたし流になってしまっている。
どんどんがんがん突き進んでいく人を見ると、眩しいな、素敵だなと羨望のまなざしを向ける。どこか冷めてる自分を淋しく感じ、臆病にならず、もっとわたしも、とも思う。思うけれども、やはりブレーキを踏んでしまう。淋しいけれど、それがわたしなのだ、とも思う。
そんなことをいつになく考えていたら、蕎麦屋でこんな言葉を見つけた。
走りすぎて 飛ばし過ぎて 曲がりきれないんだ
筆で描いたようなその文字は、カウンター上段の棚に並んだ焼酎に貼られたラベルにあった。他にも、いろいろな言葉があったのに、わたしにひっかかってきたのは、その言葉だった。
「曲がりきれる速さでいきなよ。それが、自分にあった速さなんだよ」
鴨南蛮をすすりながら、そう語りかけてくる焼酎のラベルを何度も見上げる。わたしなりの「ペース」というものがようやく見えてきた気がした。
鴨南蛮蕎麦が美味しい季節ですね。
こんな感じで、焼酎の瓶が並んでいました。
これは、きのうの朝の富士山。不思議な形の雲が朝焼けに染まっていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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