中学1年のとき、マッケというニックネームの友達がいた。
マッケはとても頭がよく、成績はいつも上位につけていて、中学に入る前には髪を染めてパーマをかけ「地毛です。天パなんです」と穏やかに笑って言い、先生たちも、それをすっかり信じていたようだった。
お洒落で可愛らしく、けれど男子たちは近づけないオーラを放っていて、ひとり窓際の席に座って小説を読んでいることも多く、とても大人びて見えた。
ある日、マッケがわたしに提案した。
「秘密の暗号を、作らない?」
今考えると、単純なものだった。50音に♡♤♢♧などのマークや○△□などの簡単な絵を当てはめていくだけだ。それを表にして、ふたりで覚えた。12歳の柔軟な頭はすぐにそれを吸収し、表がなくともたがいの手紙が読めるようになった。
そのやりとりがとても楽しかった。
しかし必死で思い出そうとしても、手紙の内容はひとつも覚えていない。たぶん他愛のないことばかりで、暗号は秘密でも、手紙の中身には秘密にするようなことは何もかかれていなかったのだと思う。秘密の暗号を作りふたりで覚えた時点で満足してしまい、興味も薄れたんじゃないかな。ずいぶんと大人びて見えたマッケもじゅうぶん子どもだったのだ。
クラスが変わってからは自然と手紙のやりとりもしなくなり、中学を卒業してからは会うこともなかったが、最近よくマッケのことを思い出す。
新しい50音を覚えているからだ。手話の指文字である。
当然だが、手話は秘密の暗号ではない。ふたりだけで共有していた暗号とは真逆で、開かれている言語だ。開かれてはいても、覚えようとする人はまだまだ少ないのかも知れないが。
手話を覚えていくことは、12歳のわたしが暗号を覚えたようにすんなりとはいかない。いかないからこそ、マッケとの記憶が背中を押してくれているように感じる。記憶のなかのマッケが、いつも穏やかに笑っているからかも知れない。
永遠にわたしと同い年で、今この地球のどこかで暮らしているであろうマッケも、あの秘密の暗号を思い出すことがあるのだろうか。
自分から見た指文字の絵になっている表です。
相手から見た指文字の絵になっている表です。
「誰もが英語で〈サンキュー〉と言えるように、誰もが手話で〈ありがとう〉と言える社会にしたいと考えています」
『楽しく笑って人生を過ごす山梨手話の会』副理事長松森果林さんの言葉より。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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