きのうの昼間、突然断水した。
断水情報を聞き逃したのかとお隣りに聞きに行くと、やはり寝耳に水で、どうしたのかしらね? と首をひねっていた。
役場に電話すると、突発的なトラブルで水道局が修復作業中だという。
「お昼ご飯、パスタにしようと思ってたけど、パン買ってくるね」
しかたなくパン屋まで車を走らせた。いつもは家で作るアイスティーも作る気がせず、午後の紅茶も一緒に買った。
災害時用の水は、5年保存の2ℓのものを12本用意してある。だが、災害時用のものを使うほどのことはないと思ったし、朝沸かしたお湯もポットにあったのだが、そもそも作ろうという気がしなくなってしまったのだ。
水が出ない。だがたぶん、何時間後には出るようになるだろう。そんな状況でも、何かを作ろうという気持ちは、こんなふうに削がれてしまう。もしも災害で断水し先行き不透明な状況だとしたら、やる気とか気力とかを失くす要素は至るところにあって、それと戦うことも必要になってくるのだろう。
庭仕事をしていた夫は手を洗うのに、わたしは布巾を絞るのに、風呂に溜めてあった水を使った。トイレはタンクの水が流れた。
「夕方まで水が出なかったら、温泉いく?」
「夕飯は、焼き肉でもしようか」
相談しつつ昼食を終えた午後、山椒の実を収穫した。
さて、灰汁抜きをして下茹でして、佃煮を作ろうとキッチンに立ち、はたと気づいた。
「ああ、水出ないんだった」
話をしつつも、すでに断水のことを忘れていたのは、蛇口をひねれば水が出てくる生活に慣れすぎているからだろう。
蛇口をひねると水が出てくる。それは、当然のことではない。
だが、当然のことのように思ってしまうのは、水がどこから来るのか、水道水を使えるようにするために、どんな人が何人くらい係わっているのか、どんな仕事をしているのか、漠然としか想像できないからだと思う。
午後3時。何事もなかったかのように水は出た。山椒の実はぶじ佃煮になった。
突然の断水はただ、水が出なくなったときの課題を考えるきっかけをわたしの前に残し、通り過ぎていった。
お昼ご飯です。ウッドデッキで食べました。
山椒の実。小粒でもピリリと辛いんです。
じゃこと佃煮にしました。ご飯にぴったりです。
庭では、栗の木も花を落として実をつけ始めました。可愛い~♩
さえさん、おはようございます。
突然の断水とは大変でしたね。
使えて当たり前と思っているものが突然使えなくなると普段感じることがなかった水道のありがたみがしみじみと実感できますよね。
トイレの水が流れないと困るので急な断水に備えて普段から浴槽に水を少し貯めておく習慣をつけておこうかなと思いました。
佃煮、完成してよかったですね。
papermoonさん
おはようございます♩
水が出ないと、なにか心細くなりますね。
ほんと、水のありがたみを実感しました。
浴槽に水を溜めてくのって大切ですね。
防災用のものを点検しようと思います。
山椒、毎年の楽しみになっています。美味しいです♩
数時間の断水の経験はあっても、それも前もってわかっている事で、
急に何時間もの断水となると、本当に困りますね。
断水と聞くと、キッチンのイメージがまずありますが、
そうですよね、トイレもお風呂もなんですよね。
やっぱりそんな経験ないし、そりゃ何も作りたくなくなりますよ。
いかに普段の当たり前と思っている生活がありがたいかですね。
心に留めておこうと思いました。
庭に栗の木があるんですね~ 素敵だな~( *´艸`)
ユミさん
前もって知っているときと、突然起こるのとじゃ、ほんとうに全然違うんだな~って実感です。
水も電気もガスも、当たり前に使っているもののありがたみを忘れちゃいけないなって思いました。
そして、車を走らせれば何でも買える便利さにも、災害時はこうはいかないんだろうなと考えさせられました。
結局温泉も行ったんですよ(笑)
栗の木、まだ大きくなくて、ふたりで食べるのにちょうどいいくらいしか生りませんが、秋に食べる栗ご飯が楽しみです♩
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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