疲れたなあと思ったときには、すでに遅い。
そう実感することが、増えた。眠っても眠っても身体が重いと感じていたら、朝方3時頃に目覚めて眠れない日が続く。先週もそうだった。
山梨→東京→京都→神戸→ふたたび東京→山梨
考えてみれば、疲れるはずである。しかし、せっかく神戸に帰省するんだから、ちょっと寄り道するのもいいよねと、欲が出た。
「やっぱり『そうだ、京都行こう』が、ムリだったのかもね」と、わたし。
「かもねえ」夫も、同意した。
予定を立てているときには、ふたり、だいじょうぶだと思っていた。
思ってしまうのは、これまではだいじょうぶだったからなのだろう。
これが更年期周辺のボーダーラインに存在する、老いの始まり、というやつなのだろうか。自分の感覚ではだいじょうぶだと思っていたことが、だいじょうぶではなくなる。またげると思っていた敷居につまずき、開けられるはずの瓶の蓋が開かなくなり、届くはずの背中のファスナーが上げられなくなる。
ひとつひとつのことをいっぱいいっぱいにしない、というのが大切なのかも知れない。これまで表面張力も見込んで器に注いでいた水を、こぼれないようにスペースを空け、九分または八分目に注ぐ用心深さが。あるいは、こぼれる分を潔く受け入れる覚悟が、かな。
疲れたときには、ハワイのホ・オポノポノの教えにある心を浄化する言葉「ありがとう」と「愛してる」を心から発すると、わたし的にはいいみたい。
ありがとう。愛してる。まあとりあえず、がんばろうか。
疲れたときには、肉ですね。がっつり肉です。
そして、疲れたときには、野菜です。たっぷり野菜食べましょう。
さらに疲れたときには、旬のもの。空豆、美味しいですよね。
淡いきれいな色のガラスのぐい飲みにも、癒されます。酒はいいな(笑)
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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