いくつか平行に線路とホームが並んだタイプの駅のホームに立つと、思い出すことが2つある。
ひとつは、交差しながら流れていく雲である。右の雲は左へ、左の雲は右へと、交わるようにしてそれぞれの道を行くように流れていく。
「高度が、違うんだよ」
同じように空高くにあるように見える雲なのだが、その高さは何千メートルも離れていることも多い。その高度によって風の吹く方向が違っている。そう教えてもらったことがある。
駅のホームから向こうに、こちらと同じ高さに並んだホームを見るとそれを思い出し、ホッとする。「高度は、同じなのだ」と。
電車は、高度の違う雲たちのように、交わりながらそれぞれの方向へと向かっていく。だが、高度は同じ。そう思うだけで、自分の立っている場所が、駅にいる、そして駅にいないすべての人たちとつながっているように思えてくる。
もうひとつは、伊坂幸太郎『グラスホッパー』(角川文庫)のラストシーン。
向こうのホームから少年2人が「バカジャナイノー」と叫ぶ。
その「バカジャナイノー」は、「生きている」であり「忘れない」であり「楽しかった」であり「さよなら」でもある。
こちらのホームに立つ主人公鈴木に、たがいに知り合いであると誰にも知られずに送れるメッセージが、一緒に過ごした時間のなかで交わした「バカジャナイノー」だった。大好きなシーンだ。
駅のホームに立つと、向こうのホームに立つ人たちと、それぞれが同じ高度の雲の上に立っているような錯覚に陥る。そしてそこから、すれ違っていく誰かに「バカジャナイノー」と叫んでみたい衝動に駆られるのだ。
夫の実家の最寄り駅、阪急岡本駅です。
新神戸駅から新幹線に。「バカジャナイノー」と叫ぶ人はいませんでした。
豚まんとビールで、一息つきました。
名古屋で特急しなのに乗り換えました。一番前の席で車窓を楽しんで。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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