朝7時、突然思い立って清里方面の八ヶ岳高原大橋まで、ひとりドライブした。
いつもと違う表情をした八ヶ岳を見たくなったのだ。平日の朝だというのに先客が3組ほどいて、みな写真を撮っていた。忘れていたが、紅葉が始まっている。きれいだ。
八ヶ岳高原大橋から間近に見える八ヶ岳は、迫ってくるかのよう。じっと見つめていると、山のパワーが身体のなかに入ってくるのがわかる。
いつも遠巻きに眺めている八ヶ岳の顔を、近くからじっと覗きこむと、山肌がくっきりと見えて、いつもよりずいぶんと親しくなったような気がした。
じつは人見知りである。コミュ障とも言える。少し離れたところから人を見ている位置の方が居心地がよく、一歩踏み出すことがなかなかできない。
「人が好き」と胸を張って言える人に出会うと、眩しく感じて憧れる。そして、自分にはできないことごとを目の当たりにし、落ち込む。パーソナルスペースが広いわたしは、つい距離をとってしまい後悔することが多いのだ。
それが、去年辺りから流れが変わってきた。エッセイサークルや手話教室に通い始めて、新しい出会いが多くなった。もしかしたら今が、自分のパーソナルスペースを見直すチャンスなのかも知れないと思えてきた。
だから少しだけ勇気をもらおうと、八ヶ岳に近づいた。
山は、見る角度によって形も表情も変えていく。
大橋よりも向こう、ぐるりと回りこみ長野方面から見たら、八ヶ岳はまるっきり違う山、別人になる。けれど、それも本当の八ヶ岳だ。
人も、山と同じくそのときどきによって形や表情を変えていく。真面目な顔、笑っている顔、泣いている顔、怒っている顔、意地悪な顔、優しい顔。まるで知らない人のような顔を見せることもある。だがどれも、その人の本当の姿だ。
だから、少し離れた位置から眺めているわたし、一歩だけ近づいたわたし、あなたと手をつないだわたし、それだって、どれも本当のわたしだ。
山と違うのは、人は自分が向いた方向へと変わっていく可能性を持っているということだ。人は、きっと変われる。いくつになっても。
『八ヶ岳高原大橋』から見た八ヶ岳です。
アップにするとこんな感じ。紅葉が始まっているのがわかりますね。
1週間前に明野の定点観測地点から撮った八ヶ岳は、紅葉前の初冠雪でした。
通る道々紅葉が見えて、買い物に行くだけでもリフレッシュします。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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