橋を渡ろうとしていた。
橋には雪が3センチほど積もり、細い自転車くらいの轍から凍っていることがわかる。手すりというか防護柵はなく、幅は1mくらいある。何ごともなければ渡り切ることもできるだろうが、滑れば落ちるだろう。そこへ通りかかった中学生くらいの男の子が、手をつないで一緒に渡ろうという。
瞬時に考えたことは、どちらかが滑ったらふたりとも落ちるということだ。彼が滑れば、わたしも落ちる。わたしが滑れば彼も落とすことになる。どちらも嫌だった。
そう考えた瞬間、まだ橋を渡り始めてもいないのに彼が落ちていった。
夢のなかでの出来事である。
同じ夜に、ふたたび橋を渡る夢を見た。
今度は木製の平均台のような細い橋に、びっしりと本が並べられている。本はもともとわたしのもので見覚えのあるものばかりだった。落としてしまえばその本を失くすことになる。
わたしは、本を落としながら渡り切った。向こう岸についたときにカウンターをカチリ押しながら無表情の女性が「単身」と誰かに報告していた。
2つの橋に共通するのは、渡らなければならなかった理由。どちらも帰り道だったことだ。
人は大切な場所へ帰るためには、危険を冒し、重たい荷物は捨て去るものなのだろうか。わたしはいったいどこへ帰ろうとしていたのだろうか。
まったく何だってこんな夢を見るんでしょう。思い出したのは、取材に訪れた『笛吹川フルーツ公園』でのこと。
アスレチックの橋を渡ってみようかと思いましたが、いやいや、これからランチなのに落ちたら洒落にならないと思い留まりました。
アクアアスレチックというだけあって、水の上にかけられた橋は何種類もありました。凍ってはいなかったけどね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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