「そこ、頭ぶつけそうだから、わたしがやるよ」
夫に言った途端、頭をぶつけた。
夫の頭ではない。ぶつけたのは、わたしの頭だ。
「痛い!」
声に出さずにはいられないほど、痛かった。相手はコンクリートだ。
「頭ぶつけた!」
言わなくてもわかることだが、口にせずにはいられない。
「絶対、血が出てる!」
騒ぐわたしをよそに、夫は呆れた顔で淡々と小枝の束を運ぶ。
家の北側の軒下に、いただいた小枝の束を運び込んでいた。軒下は1mちょっとの高さで、立ったままでは入れない。頭をぶつけないように、かがんで作業しなければならない。それはわかっている。わかっているから、夫に声をかけた。
ところが、かがんだつもりの自分の頭は、しっかり軒のコンクリにぶつかった。跨いだつもりで畳のへりにつまずくようなものである。
しかし自分ひとりで作業していたら、いくら痛くてもこうはいかない。訴える相手がいればこそ「痛い、痛い」と騒げる。騒ぐとけっこうすっきりする。自分の間抜けさを共有し、笑うこともできる。そしてそれは、家族相手なればこそだ。
そう言えば、と思い出した。子どもの頃、学校ではほとんど泣かなかったし弱音すらはかなかったが、家ではよく泣いていた。頭ぶつけたとか弟とケンカしたとか、些細なことだ。
痛みがひいてきた頭をさすりながら、考えた。
今もむかしも、内弁慶だってことかなと。それってもしかしたら、しあわせなことなのかもと。
小枝と合わせると、軽トラ一杯分いただきました。
美しく揃えて切られた焚きつけ用の小枝たち。職人仕事ですねえ。尊敬!
で、この上のコンクリに頭ぶつけました。まだ痛い~でも傷にはなっていませんでした。とほほ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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