以前から、自分のパーソナルスペースが大きいということは、認識していた。
人との距離の取り方は難しい。「パーソナルスペース」とは、実際の距離を表しつつ、人と人との心の距離感をも表す言葉だ。文化人類学者エドワード・ホールは、その距離感を4つに分類した。
○ごく親しい人に許されるのは、0㎝~45㎝。
○手を伸ばせば指先が触れ合うことができる45㎝~120㎝。
○手は届かなくとも容易に会話ができる1.2m~3.5m。
○複数の相手が見渡せる3.5m以上。
人混みを歩いていると、わたしが前の人とのスペースを空けているせいで、次々と後ろから来た人がそのスペースへと入っていく。電車に乗ろうと並んでいても、わたしの前のスペースが見えない道となり、人が通っていく。
実際の間隔というスペースだけではなく、人の懐に入り込むことが得意ではない。仲のいい友人にさえ、迷惑じゃないかな? と考えてしまうことが多い。
そして、それは親子の間、子どもたちに対しても同じだ。ほかの親子よりも、一歩離れたところに立っているように思う。
窪美澄の連作短編集『よるのふくらみ』(新潮文庫)を読んでいて、ストーリーとは関係なく読みとどまった文章があった。
おふくろがさみしすぎて死んじゃう、とわめくので、俺はアパートを引き払って、渋々、実家に戻った。
このくだりだ。例えひとり暮らしになったとしても、わたしは子どもたちに「さみしすぎて死んじゃう」などとは言わない。彼らには彼らの生活があって、それを尊重したい。特別な事情がない限りは、そうしていたいと思う。
だが、と考えもする。ちょっとした行き違いがあり、もう5年以上帰ってこない息子にそんなふうに言ったらどんな顔をするだろうか。いやそれ以前に、わたしのパーソナルスペースがもう少しでも小さかったら、こんなことにはなっていないのではなかろうか。
そんなことを、つらつらと考えながら車を走らせていたら、録音していたCDが変わり、軽快なギターの音が鳴った。イーグルスのベストアルバム1曲目。『Take it easy』だった。
気楽に行こうよ。難しく考えすぎるなよ。
空の上で見ていた誰かが、そう言った気がした。
本の神様も、音楽の神様も、きっとどこかで見ているんだよね。
アルバム『イーグルス/グレイテスト・ヒッツ1971-1975』と『よるのふくらみ』は、なぜか同じ色合いをしていました。
エッセイサークルのお友達に、手作りの栞をいただきました。小物ひとつで、読書がさらに楽しくなります♩
パーソナルスペース難しいですね。でも誰もが多かれ少なかれ、自分と他人とを比較しながら生活していますね。私は、まーいいかなー、と余り深く考えないで行動してしまうので、ストレスにならないのかもしれません。 誰でも心の行き違いは多々あります。特に身内となると余計なことまで考えてしまいます。子供を思わない親はいませんね。でも子供だって、きちんと親を思っていますよ。会えない日が続けば続く程、ちゃんと思っているはずです。親でも子供でもある今の自分だから、解る事もありますね。でも栞びっくり、恥ずかしいです。
悠里さん
パーソナルスペース、本当に難しいですね。
でも、自分の居心地がいいスペースをとっているのが自然なんだから、頭でこうだからと考えても行動に移すのは難しいですよね。
まーいいか、が大切なのかもしれません。
そうですね。息子も、わたしのことを考える日もあるのかな。
栞、大切に使わせていただきます。ありがとうございます♩
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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