年末年始の休みに帰って来た上の娘に言った。
「トイレの鍵、かかりにくくなってるけど、かかるから」
彼女は、さらりと返した。
「ああ、そうだね。確かに、かかりにくかった」
意外だった。トイレのドアに鍵がかからないことなど、どうってことないというニュアンスが見てとれたからだ。だが、すぐに合点がいった。彼女は2年前、10か国以上の国をバックパックひとつで放浪して歩いていたのだ。鍵がかからないトイレなど、庭の野鳥を見るより珍しくもなかったのだろう。
そういう何でもない会話のなかに、わたしの知らない彼女がいるんだなと思う。
あれは、娘が小学校4年生のときだったと思う。
その頃毎月のこづかいのほかに、子どもたち3人に、ひと月に1冊ずつ好きな本を買っていた。それは小説でもホラーでもいいし、ゲームの攻略本でも漫画でもよかった。それで4年生と5歳だった娘たちは『りぼん』と『ちゃお』をふたりで買い、交換して両方読んでいた。
あるとき、買い物のついでに頼まれて『りぼん』を買ってきた。都会のように子どもが歩いて買いに行ける本屋などここにはない。それが、最新号ではなくすでに読み終えた前の号だったのだ。娘は表紙を見るなり泣き始めた。わたしは、自分の間違いではあったのだが、彼女が何もしようとせず泣き始めたことに無性に腹が立ち、ひどく強い口調で言い放ったのを覚えている。
「自分でなんとかしようと、思いなさい! もう小さな子じゃないんだから、自分でできることを考えようとしなさい!」
娘は、ハッとしたような顔をして、すぐに泣き止んだ。その後、娘は一度としてそうやって何もしようとせずに泣くことはしなかった。
たぶんそのときから彼女は、わたしの知らない部分を持ち始めたのだと思う。
だからだろう。彼女がひとりで海外を旅したときにも、心配にはならなかった。
かかりにくくなったトイレの鍵は、わたしの知らない彼女をふっと見せてくれた。あのとき泣いていた女の子に似た、でもまったく違う大人の顔を。
トイレの写真で、失礼します。これが鍵です。
時計は、ウイスキーの樽をリサイクルした木製のものを置いています。
蝋燭のサボテンくんとお香立てのテントウムシさんは、仲良し。
今日から、2月のカレンダーですね。
ついでにカレンダーを撮ってみました。石の写真を集めたもの。
平山郁夫のカレンダーは、市内の『平山郁夫シルクロード美術館』でつくられたものが素敵で毎年使っています。今年は、日本の絵を集めてありました。
去年のはイタリアの絵が中心。去年、一昨年のも絵だけ貼って楽しんでいます。
今年は、3種類ありました。
2カ月ずつの大判のものも。1、2月は、イランでの絵でした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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