忘れてしまいたいことや どうしようもない淋しさに
包まれたときに男は 酒を飲むのだろう
昔の歌が、ふと口を突いて出ることがある。たぶん、読み始めたばかりの浅田次郎の『おもかげ』(毎日新聞出版)で、昔を忘れたことにして思い出さないように努めてきたという主人公のセリフを読んだからだろう。
生まれ育ちの劣等感を排除し続けなければ、人並みには生きてゆけないと思った僕は、いつのころからか少年時代の記憶に蓋を被せた。
「忘れてしまいたいこと」は、もしかしたら、なかったことにして忘れてしまうことができるのかも知れない。読みながらそう思ったのは、忘れることと仲よくなってきた年齢に達したからだと思う。
今努力すれば、あながち不可能なことではなく、忘れてしまいたいこと、忘れた方がいいことをすべて忘れ、明るい方だけを向いて生きてゆけるような気がしてきた。しかし、主人公は続ける。
そうした情けない努力によって、どうにかこうにか納得のゆく人生を歩んできたのはたしかなのだが、このごろは記憶の蓋も緩んでしまったらしい。
忘れる努力を惜しまずとも、それはいつ緩むかわからぬ蓋を被せるだけのこと。
ずいぶんといろいろなことを忘れ、そして忘れやすくなり、生きやすくなってはきたが、記憶の厄介さだけはわかっていても、ひょいと顔を出すタイミングまでは制御不可能だ。トリガーポイントは、あちらこちらにある。
『酒と泪と男と女』ではないが、酒を飲み、茗荷でもつまんで、日々笑って過ごすしかあるまい。
庭で収穫した茗荷です。美しいですね。
定番の千切りセロリサラダのアクセントに、欠かせません。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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