日曜の夜、海老しんじょうを揚げた。
つなぎに卵の白身を使うので、黄身が余る。
翌朝、肉じゃがに卵を落としただけの簡単な朝食に、黄身をもうひとつ入れ足した。
「卵、双子だったよ」
と、夫にうそぶく。
そんなふうに料理は日々つながっていて、ひとつひとつの献立は切り離して考えられるものじゃない。それが暮らすということなのだろう。
黄身だけを使う料理も、ある。
定番のアボカドユッケには、安い赤身の鮪を美味しくするために黄身だけを混ぜる。アボカド、叩いた鮪、真ん中に黄身。緑と赤と黄色のコントラストが美しくなるのもうれしい。
翌朝は、たいてい白身多めのスクランブルエッグになる。
こんなふうにして、毎朝卵を食べている。
これまで生きてきたなかで、いったいいくつ目玉焼きを焼いたことだろう。
パカッと割った卵のなかには、いくつもの朝ご飯が、ともに食べた誰かが、過ごした時間が、小さく渦を巻き小宇宙を形成しているのかもしれない。
蓮根と海老だけのシンプルな海老しんじょう。
翌朝は、肉じゃがに卵を落として。わたしの卵はひとりっこ(笑)
アボカドユッケを作った日には白身だけが余ります。
通常運転の朝ご飯。
ちょっと失敗ぎみの目玉焼き。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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