気、忙しいとかいて「気忙しい(きぜわしい)」と読む。
年末は、何かと気忙しい。
年内に、あれもこれもやっておかなくちゃと思うこと満載だ。
掃除も断捨離も、年賀状もクリスマスプレゼントも、年越しの準備も。お世話になった方へのお礼もしたいし、忘年会も楽しみでもある。
そんななか、年内に実家へ顔を出そうと東京に出た際、電話した。
「明日、お昼頃ちょっと寄ろうと思うんだけど」
すると85歳の母は、言いにくそうに言葉を選んだ。
「明日は、眼科に行く日だから」
「じゃあ、午後にしようか」
「うーん。病院に行くと疲れちゃうのよ。さえちゃんも年内は忙しいでしょ。こっちはだいじょうぶだから」
断られてしまった。
わたしが行っても、買い物や食事の支度もこちらがやるので母が疲れることはないと思っていたのだが、そうではないらしい。
じつはあれもしなくちゃ、これもしなくちゃと思っているのだろうか。
もしかしたらそう思うだけで疲れてしまうのかも知れない。あるいはこれまで、わたしが行けば多少調子が悪くても笑顔を作っていたのかも知れない。
そんなこんなで気持ちが落ち着かなくなり、「気忙し」くなってしまうのかも知れない。
それから1週間ほど経ち、電話してみた。元気そうな声で、おしゃべりもはずみ、年明けには顔を出すと約束し電話を切った。
母との距離感を考えさせられた出来事だったが、断れる距離でもあるということだと思うことにした。
手話教室でいただいた筍芋(たけのこいも)。里芋のような、でももっときめが細かい感じ?
大きめに具を切った田舎汁に入れました。ほっこり美味しい。
誰かが家に来るのは楽しいけれど、いつもと違うことに疲れてしまう自分もいます。寝坊した休日の残り物で何の飾り気もない朝ご飯、気楽ですよね。
こちらの記事にコメントをと思いながら今頃になりました。お母様とのこと、共感しました。
ご自分の生活、スケジュール。きちんとご自分で毎日を過ごされて、そこに予定外の出来事が入って来ると調子が違う?ていうお気持ちでしょうか。
私の母もそういうところがあります。父が亡くなりもう少し実家に行くかなと思ったら、母は、毎日のように予定があり、お墓の後に家まで来る事はないよとか、遠慮か本心かわかりませんが、なんとなくふらっと行けない何かを感じてしまいます。
心が自立して、元気な証拠と思ってもみますが、娘として何かをしたいという気持ちはあるけれど、結局以前と同じくらいの実家に帰る頻度です。
ポルトガルに行ってらしたのですね!
再訪したい場所って、魅力的なのですよね。
旅のご様子、拝見できるのを楽しみにしていますね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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