珈琲を淹れようと、ミルに豆を入れるとき、一粒床に落としてしまった。
木造りの床はくすみ、豆と煮た色をしている。おまけに木目の中心が豆のような形だ。探すのはひと苦労で、見つからないときには、ブラックホールにでも入ったと思ってあきらめるほどに見つからない。
もうあきらめようかと思ったとき、ふいに豆が目に入ってきた。
「あった」
さっきまで木目だとばかり思っていたものが、珈琲豆だった。
なぜすぐに見つからなかったかというと、豆が背中を向けていたからだ。
わたしのなかで珈琲豆は、真ん中に筋が一本入った楕円だ。背中を向けた珈琲豆にはその筋がない。
自分のなかにあるもともとのイメージが邪魔して、珈琲豆だと認識できなかったのだ。
思い込みにとらわれず柔軟な気持ちを持っていたいと常々思っているにもかかわらず、気づかないうちにモノのイメージを固定してしまっている。
そんなことに気づきつつ、珈琲豆を拾った。
ケニアの豆です。
内藤六郎さんの「窓」というカップで。
自然のなかの風景を陶器に描くタイプの陶芸家です。彫金をされている奥様とのブログはこちら → 「このはずく山麓記」
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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