ようやく、筍を食べた。
スーパーで買うのもなんだかなあと思っているうちにすれ違ってしまい、季節も終わってしまったかと思った頃に産直野菜売り場で細く小さな筍に出会った。
今年も、採れたての筍で筍ご飯を炊くことができた。
わたしが育った家では、季節のものを食卓で楽しむという習慣はなく、秋に秋刀魚は焼いても、春に筍や山菜などが食卓に上ることはなかった。
3人の子どもたちが幼かった頃もそれは同じで、忙しさに紛れ季節など知らないうちに過ぎていくのが常だった。
そんなある日、年上の女性から投げかけられた言葉が今も胸に残っている。
「春に筍ご飯を食べない家なんて、あるの?」
今思い返せば、自分の感覚だけが正しいと思いこんでいる天然な人だったのだとわかるが、若いわたしは素直に思っていた。
「ああ、よその家ではそうやって季節に旬のものを食べるのが当たり前なんだ」
毎年、筍ご飯を炊くようになったのは、それからだった。
ちょうどその頃、東京から川崎に越し、隣りの森で筍が採れたこともきっかけのひとつだったが。
明野に越してきてからは、季節のモノたちが身近に感じられるようになり、食卓をにぎわしてくれるようになった。
しかし都会では、季節など関係なく好きなものを好きなときに食べている人も多いのだろう。
旬のものを味わう暮らしは、豊かであると思うが、しかし、そうじゃない暮らしが貧しいとは思わない。
暮らし方の違い、というだけのことなのだ。
細くて小さめ、3本で450円でした。米ぬかつき。
米ぬかと唐辛子を入れて、1時間弱火で茹でました。
その後3時間ほど灰汁抜きして置くと夕飯の時間になったので、1本とりだしてみると、やわらかく茹で上がっていました。
夕飯はイタリアンだったので、ガーリックソテーにしました。灰汁もあまり感じられず、こんがり焼けていました。
翌日は、残りの2本で筍ご飯を炊きました。
庭の山椒の葉っぱ、木の芽をのせて。ちょっと大きくなりすぎたので葉っぱだけ。
筍と海老を入れて、茶碗蒸しも作りました。
すがたっちゃったけど、残った茶碗蒸しの汁で具が何も入っていないものもひとつ蒸しました。冷蔵庫で冷やして翌日のランチに食べたら美味しかった!
若竹汁にも、根もとや姫皮をたっぷり入れました。
今年も、夫の誕生日に義母から届いた蒸し穴子を楽しんでいます。
その筍は破竹、はちくといって私たちは、灰汁抜きしないでいただきます。あくが少なくて手軽にたべられるので、なかなか人気です。筍ほりしないで先を持って折ると、折れたところは、柔らかく食べられます。大きな筍が失くなる頃に、スーパーでなく道の駅などに並びます。田舎の旬のやさいですね割合お安いので、良く使います。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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