大晦日の昼、夫が蕎麦を打つのも毎年恒例のことだ。
年越し前にももちろん食べたのだが、きのう2日の昼食にもふたりで食べた。
娘たちが早々に東京へ帰ってしまい、夫婦ふたりの食卓へと戻ったのだ。
ふたりの食卓は、何か物足りないような淋しいような気が抜けた感じがした。
「いつもの生活に戻ったね。淋しいような、ホッとするような」
わたしの言葉に、夫が返した。
「あいつらも、ホッとしてるよ」
娘たちのことだ。
「別々に、暮らしてるんだからさ」
「そうだね。だんだん別の家族になっていくってことだよね」
少しだけしんみりとした気持ちで、しかし当然のことなのだと受け止めながら、小学生の頃に習った集合の図形を思い出していた。
重なり合う丸と丸。重なった部分が共通点となる、あれだ。
それをなぜか、シャボン玉のように思い浮かべた。ひとつのおおきなシャボン玉から、すーっともうひとつのシャボン玉が外へ出ていこうとしている。途中までは重なり合う部分が大きいのだが、だんだん小さくなってすっかり離れていってしまう。そうして新しい家族が生まれ、別々の家族になっていく。
そのシャボン玉は、もとのシャボン玉に似ている部分を持ってはいるけれど、まったく違うものだ。無数のシャボン玉が、それぞれに違った虹色を放ち浮遊していく。淋しくて、美しい光景。
そんな風景を思い浮かべながら、ごりごりと山葵をおろした。
蕎麦打ち風景です。大晦日忙しく、写真はこれだけ。
美しく美味しい蕎麦に、茹で上がりました。茹でるのも夫です。
薬味はシンプルに葱と天かす、でも山葵はおろしていただきました。
蕎麦湯がまた、濃くてたまらない美味しさなんです。
晩酌のつまみに夕刻、揚げ蕎麦にしました。香ばしかったです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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