久しぶりに、餃子を焼いた。
子どもたちが幼かった頃は、よく一緒にタネを包んでホットプレートで焼いたものだったが、夫婦ふたりの暮らしになってからは焼かなくなっていた。
夫に包み方を教えながら一緒に作ったのだが、教えるのって難しいなと実感。
「タネを入れて半分に折ったら、真ん中にひだを寄せて折って」
「えっ? どっちに?」
「わたしはこっちに折るけど、やりやすい方でいいよ。次はここ」
「あれ? なんか違うなあ」
「あれ? なんでこうなるんだ?」
教えているうちに、わたしの方まで包み方を忘れてしまうというスパイラルに陥ってしまった。
それでも焼きあがった餃子は、これまでにない美味しさだった。久しぶりなので、ネットで調べた新しいレシピで種を作った。白菜を茹でないタイプのもので、それが大当たりだった。
さて。手作り餃子にもれなくついてくるのは、餃子の皮が余るという現象。今回余った皮は3枚だけだった。余りが少なかったからか、それでなにか1品作ろうという気にもなれず、少しのあいだ冷蔵庫で眠っていた。
ふと思いついて、それをフライパンで焼いてみた。胡麻油をしき、両面をカリカリに焼いて塩を振るだけ。ふと思いついたのは、子どもの頃、母がよく作ってくれたからだ。料理とも言えない簡単さ。ものすごく美味しいとも言えない。それでも子どもの頃はこれが好きだった。もしかしたら餃子よりも喜んで食べていたかも知れないと、食べながら思い出して可笑しくなった。
子どもの頃に食べた味って、今食べて、その頃ほど美味しく感じられないものも多い。だけど、心にも身体にもどこかに残っているのだろう。食べ物が人を作っている。まあそれだけではないんだろうけれど、そういう部分も大きいと思う。そんなことを考えながら、パリリと餃子の皮をかじった。
ホットプレートで焼いて焦がしてしまいました。長らく使ってきたホットプレート。このところ温度調節がうまくいってないみたい。買い換えかな。
気を取り直しフライパンで焼いて、大成功。小さく羽根のついた餃子です。
餃子の皮煎餅です。胡麻油の香りがいい感じ。塩味濃いめです。
いただいた石垣島のラー油が美味しくて、買い足しました。激辛もあるよ。
餃子は、やはり手作りですね。孫たちがくると50個位作ります。私は下味を濃い目にします。自己流で、白菜の漬物をみじん切りしたり、食感を強く欲しい時は挽肉を粗挽きにしたりしてみます。さえさんはご夫婦仲良く、楽しんでお料理したり、ほほえましい光景で心和みます。私は夫に少々辛口なので反省し、老後を穏やかに過ごす様に努力したいと思います。出来るかな⁉
悠里さん
手作り餃子、美味しいですよねえ。
下味濃い目にしたり、歯ごたえを考えて工夫したりしていらっしゃるんですね。
家庭の味それぞれなのも、餃子の楽しみかも知れませんね~
これまでなかったことに、夫が餃子を作りたいと言い出しました。
どういう風の吹き回しでしょうか(笑)
日々穏やかに過ごす工夫、わたしも教えていただきたいです~
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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