娘の芝居を観に行ったのは、浅草だ。
彼女が演じたのは、劇作家岸田國士の短い戯曲『ヂアロオグ・プランタニエ』。
フランス語で、「春の対話(Dialogue printanier)」という意味らしい。Amazonで売られている青空文庫では、ただ「対話」と訳されていた。
ふたりの女性が、ひとりの男性を好きになる。だが戯曲に彼は登場しない。彼女たちの対話だけで話は進んでいく。つまり二人芝居だ。
心のなかを相手に見せまいとし、平気な顔をしたり、嘘をついたり。
さ う いふ こと を 考へ 出せ ば、 きり が ない わ。 なんて、 あたし にも、 そんな こと を 云 ふ 資格 は ない けれど、 女 が、 心 の 中 で、 一人 の 男 を 撰ん で 置く なんて、 実際、 無意味 ね。 あたし、 さ う 思ふ わ。 求め られ た 手 を、 差し出す か、 差し出さ ない か、 一生 を 一度、 その 時 だけ だ わ、 自分 の そば に、 一人 の 男 を 並べ て 見 られる のは……。
好きな人の心のなかも、未来も、今確かなものは何もない。
不安、嫉妬、絶望、切ない思い。彼を愛する気持ちとともに、そんなものたちが、ふたりともからこぼれ落ちていく。
短いけれど、胸に響く芝居だった。
芝居は3本立てで、あとの2本は現代劇。エントリー式で、出演条件が合うと出演できる形式になっているそうだ。
みな、演じることが楽しくてしょうがないという顔をしていた。
寄り道して観た『桐生八木節まつりin浅草』で、八木節のリズムに合わせて母親に抱かれた1歳くらいの女の子や、父親と手をつないだ2歳くらいの男の子が、自然と身体を動かしていたのを思い出した。あの子たちが身体を動かさずにはいられないように、彼らもまた、自分のなかに湧きあがるものに突き動かされ、芝居のなかに身を置かずにはいられないのだろう。
浅草は、やっぱりすごい人でした。GWですものね。
『桐生八木節まつりin浅草』です。とてもにぎやかでした。
わかりにくい場所でしたが、この立て看板の雰囲気で、見つけた!
『あさくさ劇亭』です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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