遊びに来た夫の友人と一緒に、市内のお隣り須玉町にある『海岸寺』を訪ねた。たくさんの石仏が集められている寺である。
風もなく静かに晴れた日で、それぞれのペースで石仏たちを拝んで歩いた。
石であるが、雨風にさらされ風化が進んでいるものが多い。表情も手にしているものも、原形を留めているものはほぼないだろう。500年ほども前に作られたものもあるというから、当然だ。それでも、誰に観られることもなく薄暗い部屋に保存されているよりはよかろうと、屋根を備えあえて屋外で人の目に触れられるようにしているとのことだった。
ここに来るまでに、きっとみな長い旅路があったのだろう。
タイムスリップしたような気持ちで歩いていると、足もとにいくつもの大きな芽のようなものを見つけた。まるで筍がニョキッと出てきたかのような面持ちだ。地面を突き破り、目を覚ましたからにはぐんぐん伸びてやると言わんばかりの力強さを感じる。
訊くと、山百合だそうだ。
6月には、見事な百合でいっぱいになるという。
長い長い年月を過ごしてきた石仏たちにも、こうして季節は巡ってきたのだろう。もしかすると言葉にすることもなく、山百合花ひらく頃を楽しみにしているのかも知れない。
まだ八重桜や花桃が咲いていました。
頬に手を当てた如意輪観音。「人々のどのような迷いも砕き、あらゆる願いを叶える」観音様だそうです。
数え切れないほどの石仏さんが、いらっしゃいました。
8本の手を持つ不空羂索観音。「人々を必ず救済する」観音様だそうです。
「法輪」がくっきりと残った如意輪観音。
顎の下に手を当てている如意輪観音は、珍しいそうです。
まだまだ並んでいました。
急な石段の両脇にも。ここで、百合の芽をいくつも見つけました。
ここまで伸びていると、百合だとわかりますね。
筍のようにニョキッと突きだしたように見えました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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