夫が庭のモミジを選定していて、あっと声を上げた。
「巣がある」
見ると、夫の片手に乗った小さな、しかし無数の藁を集め編まれた立派な鳥の巣があった。
巣の中心は、丸くしっかりとくぼみ、藁が厚く蜜になっている。ここで卵が孵り雛が育ったであろうと想像できるくぼみだった。
「シジュウカラのやつら、やたらとモミジにとまってるなあと思ってたんだよ」
夫の言葉にうなずく。
今年の冬は、ヤマガラも来たが断然シジュウカラが多かった。大きさからしてもシジュウカラがかけた巣だろう。
それにしても、と、夫と顔を見合わせる。
「しかしまた、どうして」
「よりによって、こんな近くに」
モミジの木は、ウッドデッキから1mほどの場所。庭の真ん中家のすぐ近くにある。大木ではないので、巣は地上2mの高さにあった。
「わざわざ森に、巣箱を置いてやったのに」
夫が隣りの森のクヌギに梯子をかけ、4mほどの高さに巣箱を設置してくれたのは、冬の初め。ここなら蛇も来ないだろう、鷹に襲われることもないだろうし、人間を警戒することもないはずだとふたり考えに考えて置いたのに。
親の心、子知らずとは、このことだ。
もしも、これが本当の子供だったら、
「あんた、親の真心をおちょくってるの? せっかく危なくないようにとお母さんがやってあげてるのに、見てないと思ってわざわざこんな低いところに! 蛇が来たらどうするの」
と、激怒しそうだ。
だが、子供には子供の都合や理由があるのだと、子供たちが巣立った今では知っている。
無論、シジュウカラにはシジュウカラの考えがあってのことなのだ。
モミジの枝にかかっていた巣。
いろいろな材料を集めていました。
モミジの木は、ウッドデッキのすぐ前。
家にこんなに近いのに。
巣箱は、隣りの森との境にあるクヌギの木にかけました。
夫が苦労してかけてくれたんだけどなあ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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