「瑞牆(みずがき)の川の辺りまで、涼みに行かない?」
何も予定のない週末、ふと思い立ったというように夫が言った。
瑞牆と言われてピンとこなかったが、2年前にもみじ祭りウォークで歩いた辺りの上流だ。本谷川という。
くねくねと山道をドライブし、家から40分ほどだろうか。同じように川遊びに来た家族連れやカップルなどが川沿いのへこんだスペースに器用に車を停め、お弁当を広げたり、バーベキューをしたり、子供たちは水着姿で川に入ったりと思い思いに楽しんでいる。
わたしたちも誰もいないところに車を停め、わたしは川の水で手を洗い、夫は早々に川に入っていく。
「うわ、冷たい!」
「気持ちいい」
コンビニで2つずつ買ったおむすびを食べ、水筒の冷えたお茶を飲み、のんびりした。
「涼しいねえ」
「自然の冷房がそこにあるからね」
夫が川を指さす。
しばらく川面をぼんやり眺めていた。そして、ふと思う。
今ここに、川はここにあるけれど、流れくる水はとどまらず、一瞬のうちにずっと先へと行ってしまう。今ここにあった水はすでになく、それでも次々と流れてくるからまるで同じものがとどまっているように錯覚してしまう。
それは時間とも似ている気がした。
川べりには、冷たい空気のなかをときおり熱をはらんだ風が通りすぎて行く。
陽をさえぎってくれている木々の葉のあいだから見える空が、秋の空のように青かった。
手を浸すととても冷たくて気持ちがよかったです。
自然の巨大な苔玉。
木の葉の影絵も、あちらこちらに見えました。
小さな段差でも、滝のように飛沫を上げていく水たち。
大きな石が沈んだ場所では、流れがつまずくように立ち止まります。
木々のあいだから見える空が、青い!
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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