朝は零下まで冷え込む日々が、続いている。
晴れて山がきれいに見える日ほど、気温は下がっている。厳しい寒さと山々の美しさは、仲睦まじく肩を組んで歩いているようだ。
冬山を見て、よく考える。実際に見えているその姿は、じつはわたしが見た姿であって、万人に同じように見えるわけではないのだろうと。
登ったことのない、眺めるだけのわたしが見ている八ヶ岳。登ったことのある人が見る八ヶ岳とは、違って見えるはずだ。厳しさも美しさも、見る人の主観が大きく左右するものなのではないかと思う。
そう考えて思い出すのは、ミラノ最古の教会、サン・サティロ教会だ。
なかに足を踏み入れると、中央の祭壇と金のアーチが吸い込まれるような美しさで、見た瞬間息を呑み、次第に気持ちが落ち着いていくような雰囲気を持っているのだが、それが遠近法の錯覚を利用した見せかけだけの奥行きで、実際には、とても狭く小さな教会なのだ。
自分が見た感覚と実際に存在するものが違っている不思議もおもしろかったのだが、狭い敷地で、如何に人々の心が安らぐような建物にできるか試行錯誤の結果生まれた騙し絵なのだと思うと、胸に温かいものがあふれてきた。
見えるものが、実際に存在するものと違っていても、それは嘘ではない。
サン・サティロ教会はそう言っているかのように思えた。
今見えるものも、あるとき見えたものも、たとえ実物と違っていたとしても、見た人にとってそのときに見たそのまんまが真実だとも言えるんじゃないかな。
たぶん、わたしが見た八ヶ岳も。
今週の八ヶ岳です。最高峰赤岳は、ますます白くなってきました。
これがミラノのサン・サティロ教会。奥の部分に注目してください。
右側のカーブの部分です。左の天井と見比べてください。
実は奥行きが狭いということが、近づいて見てようやく判ります。
外観です。正面から見たところ。大通りの建物と建物の間に立つ小さな教会です。限られた土地に建てた工夫だったのでしょう。
外観も、裏から見るとまったく違う教会のようです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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