読んだばかりの『食べる女』の一編に『花嫁の父』がある。
毎週末父のために、亡くなった母が作っていたポテトサラダを作りに通う、三十路間近の娘、咲子を描いた短編だ。
結婚したい人がいる。そう告げる覚悟で鍋を用意した食卓で、しかし父は言う。
「実は、好きなひとができた。結婚しようかと思っている」
ずっと咲子目線で語られていたので、読者は青天の霹靂だ(たぶん)。
ああ、この感じ。
思い出したのは、山本文緒の短編集『シュガーレス・ラブ』に収められた『ご清潔な不倫』だ。
アトピーに悩み生きていくことさえどうでもよくなった事務職の女と、冴えない主任の恋愛ストーリー。だがその物語に、読者はやはり「青天の霹靂」を見ることになる。既婚だと思っていた主任に、家族はいなかった。とうに別れた家族のことを語っていたのだ。独身だと嘘をつくのならまだしも。そう逡巡する女は、しかしその主任に言われるのだった。
「君は結婚してるそうじゃないか」
〈私〉は読者に語らなかっただけで、数年前出ていった夫がいて籍を抜いていなかった。アトピーの肌を嫌い、こう言って。
しばらく別居しようよ。お前の病気が治ったら帰るからさ。
語られなかったことで、ここへきてなおさら〈私〉の虚無と心の傷が浮き彫りになる優れた短編だ。
そしてさらに思い出したのは、中学の教科書に載っていた短編『一切れのパン』である。調べたら著者は、F・ムンテヤーヌというそうだ。
第二次世界大戦中、ドイツ軍に捕らえられたルーマニア人の〈私〉は、ユダヤ人のラビと知り合う。空腹に耐えながら逃亡するとき、ラビはハンカチに包んだ一切れのパンを手渡してくれた。
「あなたに一つだけ忠告しておきましょう。そのパンは直ぐに食べず、できるだけ長く保存するようになさい。パン一切れ持っていると思うと、ずっと我慢強くなるもんです。まだこの先、あなたはどこで食べ物にありつけるか分らないんだから。そして、ハンカチに包んだまま持っていなさい。その方が食べようという誘惑に駆られなくてすむ。私も今まで、そうやって持って来たのです」
〈私〉は空腹に耐えられず、何度もパンを食べようとする。そのたびにラビの忠告を思い出し、ハンカチのなかのパンを大切に触るだけに留めた。だからこそ〈私〉は、家族のもとへ帰りつくことができた。そしてラスト。
ハンカチからぽろりと床に落ちた一片の木切れ以外には、もう何にも私の目に入らなかった。
「ありがとう、ラビ」
一切れのパンは一片の木切れだった。ラビは〈私〉を極限状態から紙一重で救ったのだ。
中学生だったわたしは、このラストの驚きに衝撃を受けた。小説が好きになったのは、このときかも知れない。今も『一切れのパン』的驚きを探し続け、読み続けているのかも知れない。
山本文緒は、何度読んでもいいなあ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。