横浜にあるミッション系のお嬢様校に通う高校2年のふたり、ののとはな。ふたりの書簡のやりとりだけで構成された三浦しをんの小説である。
のの(野々原茜)庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌。
はな(牧田はな)外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手。
タイプの違うふたりだが親友となり、長文の手紙をやりとりする。1984年。スマホどころかポケベルもない時代だ。
しかし、ののがはなに抱いていた本当の気持ちは、恋心だった。覚悟の末、打ち明けるとはなはののを受け入れた。
私たちはベッドに横たわって、一枚のタオルケットにくるまった。鼻先をこすりつけあうみたいにして笑いあった。あなたは小さな声で「わたしも好き」って言ってくれた。私に触れたはなの指先。わたしが触れたはなの頬、肩、鎖骨……。私たちはいままで知らなかった音楽を奏で、ほかのだれにも聞こえない旋律を歌う。
けれどふたりの恋は、切なく壊れていく。
2章は、別れてからもたがいを忘れることができず、道を模索している大学時代のふたりが描かれている。以下、ののからはなへ。
婚約するかもしれない、という手紙をもらって、事実、私は衝撃を受けている。あなたとはもう会えない。あなたの幸せを願う気持ちは本当だけれど、幸せになったあなたと会うのはつらい。磯崎さんとアメリカでもどこでも行くといい。子どももボコボコ生めばいい。私ほどあなたの幸せと不幸を願うものは、ほかにいるまい。
3章は、2010年。外交官夫人となりゾンダ(アフリカの架空の国)で暮らすはなへ、ののからメールが届く。ののからはなへ。
ほわほわして、甘くておいしい、夢のお菓子。私はあなたのことを、いつまでもそういうふうに思っているみたい。そしてそれは、百パーセントまちがいだとも思えないの。はなは優しくてやわらかい。一本芯が通ってもいる(綿あめでいうところの、割り箸ね)。でも、だからこそ心配なのです。綿あめは気がついたら風にちぎれてどこかへ消えてしまうお菓子だから。
はなからののへ。
あなたはリンゴ飴に似ているわ、のの。
固くてかじりにくいところが。きれいで透きとおった皮膚の内側に、太陽みたいに燃える赤い球体があるところが。それはあなたの魂。自分の頭で考え、ひとを心から愛しながら、一人で生きてきたあなたの魂そのものだと思う。皮膜を突き破って歯を立てると、甘さが口のなかに広がる。それはあなたの優しさ。いままであなたが経験したすべての思考と感情が濾過されて、魂の内部で蜜に変化したんでしょう。
恋して愛し合った末ともに歩むことはできずとも、たがいを心の底で呼び合い思い続けてきたふたり。だからこそ、とっくに別れた相手なのに嫉妬し、熱い思いが呼び覚まされたりもする。
こんなにも心を響かせ合うことのできる相手が、いるだろうか。
そう思うたびに、読んでいるこちらも胸を裂かれるような気持ちになる。
読み終わって感じたことは、人生を歩むなかで大切な誰かがいるということの素晴らしさだ。観たばかりの映画『ボヘミアン・ラプソディ』とシンクロした。どちらも同性の恋愛を軸にしているからというわけではない。人は大切な誰かに影響されながら、大切な誰かを思うために生きているんだ、と、ぶれていた針がぴたりと止まった。
スカーフがあったら欲しくなるような野の花いっぱいの表紙です。
三浦しをんの刊行記念インタビューは → こちら
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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