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はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

『カソウスキの行方』

しつこく、津村記久子を読み続けている。

 

イリエ28歳、女、独身、彼氏なし。

機械部品卸の本社勤務で主任のような立場だったが、閉鎖対象の倉庫へ飛ばされた。

パートばかりの職場で、年下の男たちの下で働く日々。

突然左遷されたのは、後輩OLに課長からのセクハラを相談され談判すると、その場で後輩に証言をひるがえされた事件に拠る。ふたりは不倫関係にあり、遠回しに自慢したい女心をイリエは見抜けなかった。

その後本社ではイリエのポストにその後輩がついているという。

ひどい話だ。

勤務中に、ごくたまにそのことを思い出すと、雄叫びを上げながら、座っている椅子を窓から投げたくなる。あの仕事もあの仕事もごまかし、あの備品もパクればよかった、あの子もいじめておけばよかった、やり損ねた悪事に思いを馳せると、無性に泣きたくなる。

イリエは、何もかもにいたたまれなくなったある日倉庫での直属の上司、森川を好きになってみることにした。

好きになったということを仮定してみる。

「好きになる」とか「恋に落ちた」より文字数が多いが大丈夫だろう。仮想好き。これで文字数も減った。

顔立ちが可愛いもうひとりの上司、藤村を選ばなかったのは既婚者だからというだけ。森川は、見た目がいかつくふけていて無駄に背が高くぼそぼそ話す棒のような男だ。それでもまあいい。何もない毎日より、カソウスキがあるだけでましなのだ。

 

とはいえ、本腰を入れて好きになるのはなかなか難しかった。夢想しているうちいつのまにか孤独死を心配していたり、うっかりパートさんとの不倫を応援したり(勘違いだったが)してしまう。

 

しかし正月休み最後の夜、倉庫でぽつんとテレビを観る森川と一緒になる。初めて実家の家族と上手くいっていないことを話し、森川の過去を聞かされる。先に倉庫を出たイリエは、何か忘れてきたような気がしてハッとする。

やりましょうって言えばよかった。仕事以外で男と二人きりになる機会なんてめったにないのに。もったいないことをした。

イリエの仮想は、どこまでいくのか。

 

若い頃、似たような気持ちに陥ったことがあった。というか、子供の頃の恋愛は、どこか仮想のなかにいたような気がするし、そんな仮想から始まる恋もある。

「好き」って気持ちは、手にとって細部を確かめたりはできないやたら不確かなもので、だから、イリエが森川を好きじゃなかったとは誰にも言えない。

恋をすると「わたしのこと、ほんとうに好きなの、ねえねえ?」とネクタイをつかんで問い詰めたくなるのは、そのせいだろう。

 

わたしも、たまに仮想することがある。

思い浮かべるのは、ワンルームの小さな部屋でひとり暮らしている自分だ。家庭というものはわたしには大きすぎて、ダメだもうほんとうに手に負えないと追い詰められた気持ちになるときがままある。そんなとき、仮想ワンルームの窓際にスペアミントの鉢植えを飾ったりする。鉢植えはただのひとつきりで、決して増やしたりはしない。ふたたび手に負えなくならないように、細心の注意を払っている。

表紙のうつむいて足早に歩く女性は、イリエそのものだと思いました。

表題作ほか「Everyday I Write Book」「花婿のハムラビ法典」収録。

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PROFILE

プロフィール
水月 さえ

随筆屋。

Webライター。

1962年東京生まれ。

2000年に山梨県北杜市に移住。

2012年から随筆をかき始める。

妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。



『地球の歩き方』北杜・山梨ブログ特派員

 

*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。

 

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