『そして、バトンは渡された』本屋大賞受賞記念連載ということで、引き続き瀬尾まいこを再読している。『図書館の神様』は、『卵の緒』でデビューして、次に出版した2冊目の小説だ。
早川清(きよ)は、名前の通り清く正しく生きてきた。
中学高校とバレーボールに打ち込み、キャプテンを務めた。常に真剣にバレーと向き合ってきた清には、遊び半分で部活をするチームメイトの気持ちなど理解できなかった。その日たいして重要でもない練習試合で負け、ミスを重ねた山本さんをミーティングで責めたのも、清にはごく普通のことだった。
だが山本さんは、その夜自宅のマンションから飛び降りて死んだ。
山本さんが死んだことで、周りから非難され、居心地が悪くなったのは私だけではなかった。私が殺したわけでもないのに、両親も弟も冷たい目で見られた。
「あなたにもう少し優しさや思いやりがあったらね」
「バレーばかりしているから、大切なことがわからんのだ」
父親も母親も私を責めた。
清はバレーを辞め遠くの大学に進学し、卒業後も家には帰らなかった。海辺の田舎町で中学校の講師の仕事に就いたのは、それでも顧問としてバレーに関わっていたかったからだったが、あてがわれたのは3年生の部員がひとりしかいない文芸部の顧問だった。
「じゃあ、部長は僕で承認されたということで、顧問は早川先生。次は予算です。どうしましょう。先生何かほしい物ありますか?」
「ほしい物……? なんだろう。車かなあ。今乗ってるのは中古の軽なんだけど、2ドアだからちょっと不便なんだよね。後ろの席に荷物載せたりするときとか面倒くさくて。せめて4ドアの車が欲しい」
「なるほど。たしかにそれは不便ですね。僕の母も2ドアの車に乗っていますが、あまり嬉しそうな顔をして運転していないのは、ドアの数が少ないせいだったんですね。だけど、残念ながら文芸部で活動するのに必要な物じゃないとだめなんです」
垣内君はさわやかなスポーツマンタイプで、しかし心から文学を愛していた。
そして清は、私生活でこれまでだったら考えられない清くも正しくもない恋愛をしていた。
「ほんと最悪。でもいいんだ。そんなことどうでも。浅見さんがいればね」
私は浅見さんの額にキスをした。
とりあえず、浅見さんとくっついている時は、それでいいと思える。昔はバレーボールだったけど、今は浅見さんがいる。他のものがどうでもよくなるものがあるということは、幸せなことだ。ただ、浅見さんは私だけのものじゃない。
この小説には、3人の素敵な男性が登場する。
文芸部の垣内君。不倫相手の浅見さん。清の弟、拓実。
わたしは、拓実がとても好きだ。山本さんの墓参りに同行する優しい拓実。
今まで、毎月、五年近く、拓実がついてこなかったことは一度もない。風邪をひいていても、デートの約束があっても、拓実は何よりも優先してくれた。
「だって、こんなこと一人でするもんじゃないだろ」
「そうかなあ」
「当然。姉ちゃん一人で行くなんて、悲惨すぎる」
清とは違う形だとしても、大切にしてきたものを失くしてしまった心の傷は、おそらく多くの人が隠し持っているものだろう。
清の空っぽになった心が、海辺の田舎町の中学の図書館で何かを見つけたように、わたしも山ばかりに囲まれた田舎町でたぶん何かを見つけてきた。傷は何度もかさぶたがはがれ、だいぶ小さくなってはいる。
心の傷というモノは誰にも見えないし、もし見えたとしてもその人なりの物差しでしか測れない。傷が癒える時間に至っては本人にすら測れない。5年経ったから、10年経ったから、もうだいじょうぶということなどなく愕然とする。
誰かと一緒の時間が、穏やかに効いていく。清にも、わたしにも、たぶんどんな人にも。
本屋でなにか魅かれて買って帰ったその日、上の娘が中学の図書館でこの本借りてきました。本の神様って、いるよね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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