本屋で手にとった瞬間から、『森に眠る魚』を彷彿とさせる、ずしりと重い手ごたえがあった。
怖いもの見たさという感情が、湧きあがる。決してワクワクする物語ではないことは、ページを開く前から知っていた。
娘を殺した母親は、私かも知れない――。
帯の文句だ。
2歳の娘を育てる専業主婦の里沙子は、裁判員制度の補充裁判員となる。扱うのは、母親による乳児虐待死の事件で、亡くなった8カ月の赤ん坊は女の子。
赤ん坊が泣きやまない。泣きやまないと夫が不機嫌になる。義母があれこれいう。赤ん坊の成長が遅い。自分は母親に向いていないのか。そんな悩みを抱えていた母親が、ある日浴槽に娘を落とし死なせてしまった。
初め里沙子は「赤ん坊が泣きやまない時期なんて少し待てば終わったのに、なぜ?」とぼんやりとした気持ちでいたが、やがて被告人の水穂に次第に感情移入していく。暴力を振るうことはないが、声を荒げて妻を委縮させ、自分の母親と親密な被告人の夫に、里沙子は違和感を抱いた。
決して暴言ではない、罵りの言葉ではない、笑いを含んだ、おだやかな、静かな、二人だけの親密な暗号のような言葉で、彼女にしかわかり得ない方法で、見下され、こけにされ、軽んじられ、踏みつけられ、普通以下と断じられていたら。そうされていることを、彼女本人もはっきりと意識しないまま、催眠術にかけられているように信じてしまったら。あの女友だちが「こわかった」というのは、そういうことなのではないか。
そして、自分の夫と重ね合わせて考えてしまう。これまで気づかなかった数々の悪意について。
みんながやっていることができないと認めることは、べつに恥ずかしいことじゃないよ。
でもきみ、補欠みたいな立場なんだろ。
キャパオーバーをこっちにぶつけるのはやめてくれよ。
耳のすぐ近くで、伸びたり縮んだりしていた水穂の声は、いつのまにか陽一郎の放った言葉をつぶやいている。動悸がする。裁判のあいだ、ずっと蓋をおさえていたのに、ついに開けてしまった。里沙子は大きく息を吐く。息が震えている。
それらの言葉の意味するところは、たったひとつではないか。――きみは人並み以下だ。
里沙子は補充裁判員になったことで、自分の家庭に潜む「隠れていた暴力」「穏やかな虐待」に目を向けることとなる。そして、自らの足で立ち生きていくということを考えていくのだった。
誰かが言う。そんなことは、普通だと。
普通。ふつう。フツウ。
その普通が、みんな違っている。裁判員に選ばれた人々も。被告人も、その家族も。
育児は心楽しくもあった反面、自分がおかしいのではと追いこまれたり、わかってもらえない苦しさに悩んだり、閉塞感に押しつぶされそうになったりの繰り返しでもあった。
「ああ、わたしだけじゃなかった」
たぶん子育てした人の多くが、そんなふうに安堵し、ハッとして同時に胸を傷める小説だと思う。
WOWOWでドラマ化されるんですね。里沙子を演じるのは、柴咲コウ。
タイトルは、誰もが住んでいたかも知れない、同じことがあるかも知れないという意味あいの濃い建売住宅のイメージかな。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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