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はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

『密やかな結晶』

続けて、小川洋子を読んでいる。

『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞したのが1991年。『密やかな結晶』は1994年に出版されている。『博士の愛した数式』で本屋大賞をとったのは、この小説から10年後の2004年だ。

しかし、古臭さなど微塵も感じさせない美しい文章で綴られた長編だった。

 

〈わたし〉が暮らす島では、様々なものが消えていく。

すでに子どもの頃には、リボンも、鈴も、エメラルドも、切手も、消えていた。何かが消えた朝、島の人々はその何かについての記憶も失っている。

だが〈わたし〉の母(彫刻家だった)は、記憶を失わない特殊な人間だった。そして15年前のある日、特殊警察の記憶狩りに遭い亡くなった。

〈わたし〉は、父(野鳥研究家だったが今では鳥も消えた)の死後、小説をかき、ひとり暮らしている。友人は、幼い頃家で世話をしてくれたばあやさんのご主人、おじいさんだけ。ばあやさんも亡くなり、船の整備工だったおじいさんは壊れたフェリーで暮らしている。(船もずいぶん昔に消滅した)

バラが消えたときに、〈わたし〉はバラ園をひとり歩いた。

わたしは両手をポケットにしまい、無名者墓地をさ迷っているような気分で、丘を歩いた。しかし、どんなに棘や葉や枝の形を見つめても、種類を説明した立札を読んでも、もう自分がバラの花の形を思い出せないことに、わたしは気づいていた。

ある日、担当編集者のR氏が記憶を失くさない人だと知った〈わたし〉は、おじいさんとともに隠し部屋を用意しかくまうことにする。

記憶狩りから逃れるための部屋は狭く、決して穏やかな日々とは言えなかったが、3人は心を許し合い、温かな時間を過ごしていた。それでも、消滅は限りなく大きく深く進んでいった。

〈わたし〉は、声が出なくなったタイピストの話をかいていた。それが現実と並行して小説に折り込まれていく。

本当に彼が言うとおり、ここにあるタイプライターの一つ一つに、それぞれ誰かの声が閉じ込められているのでしょうか。肉体と同じように声も衰えてゆくとすれば、山の下の方で押しつぶされているもののほとんどは、息絶えて干涸びているかもしれません。ある時わたしは自分の声がどんなだったか、もう思い出せないことに気づいて唖然としました。

タイピストは、恋人に声を奪われタイプライターさえ奪われ、表現するすべを失くしたまま、時計台の上に閉じ込められていた。

 

これは、閉塞感を描いた物語なのかも知れない。

島に閉じ込められ、消滅を受け入れながら暮らす人たち。受け入れられず記憶狩りから隠れる人たちもまた閉じこもったままだ。〈わたし〉が描く小説のなかでさえ閉じ込められた主人公は、声や表現を失くしていく。

 

小川洋子は、中学1年のときに『アンネの日記』を読み、翌日から自分も日記をつけ始めたという。そしてこの『密やかな結晶』を出版した年に、アンネの生家や隠れ家、アウシュビッツを訪ねる旅をしている。

人は、理不尽に閉じ込められたとき、どうなるのか。

それを受け入れ静かに心を失くしていくのか。受け入れられず危険な場所へと飛び出していくのか。死を選ぶのか。

現代社会のなかでも、息ができないほど強い閉塞感のなかにいる人もいるだろう。「家庭」や「学校」あるいは「職場」という囲いのなかに閉じ込められて。

そんな日常のなか、誰もが手にしているごく当たり前の瞬間のささやかなきらめき。〈わたし〉とおじいさんがお茶を楽しんだりホットケーキを焼いたりするいくつかの温かなシーンが好きだった。

表紙の作品「私は音を集めた」は、木彫りでしょうか。主人公〈わたし〉の彫刻家だった母が作ったという作品を思わせます。

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PROFILE

プロフィール
水月 さえ

随筆屋。

1962年東京生まれ。

2000年に山梨県北杜市に移住。

夫が営む広告会社で経理を担当。

2012年から随筆をかき始める。

妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。

『地球の歩き方』北杜・山梨ブログ特派員

 

随筆かきます。

 

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I answer only Japanese.

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