このところ気持ちが落ち着かないのか小説を読めずにいる。
リハビリを兼ねて手にとったのは、韓国の女性がかいたカウンセラーとのやりとりをエッセイ風にまとめた本『死にたいけどトッポッキは食べたい』。
著者ペク・セヒは、20代後半。
気分変調症(軽度のうつ病)と不安障害を持ち、精神科を転々としていた。
自己肯定感が低いと自らを認識する点で、たぶんわたしは彼女と似ている。
しかし帯にある「共感の嵐」というわけにはいかなかった。
歳を重ね、ずいぶんと生きることが楽になってきているのかも知れない。
そんなふうに俯瞰しつつも、いいなと思った言葉を抜き出したい。
ドクターの言葉。
つらい時はどうしたって自分がいちばんつらいんです。
それは利己主義ではありません。
一人が好きなのに誰かとつながりたいのはなぜか。
私は一人でいるのが好きです。でも、それには条件があります。
私を愛してくれる人がいること。私を気にかけてくれる人がいて初めて、一人でいられるのです。
感情を表に出すのが苦手だという著者の学び。
感情にも通路があって、否定的な感情だからと、溜め込んだり、抑えたりすると、肯定的な感情すら出てこなくなる。
ふたたび、ドクターの言葉から。
どうして正当化、合理化することに否定的なんですか?
それは成熟した自己防衛の一種ですよ。
自分の傷や決断について、理由を探すことですから。
最後に。
もっとも共感した言葉は、タイトルだ。
死にたいけどトッポッキは食べたい
人はそうやって、生きている。
幸福と不幸の共存のように、人生の曲線は流動的なものだ。そして、私が諦めない限りそれは続き、泣いたり笑ったりすることもできる。
真逆の感情が自分のなかに存在する矛盾と隣り合わせで、人はみな生きているのだ。
裏表紙には、足もとにトッポギが置かれています。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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