北村薫の連作短編集『月の砂漠をさばさばと』(新潮文庫)は、小学校3年生のさきちゃんとお母さんの物語だ。
彼女たちはふたり暮らしで、そのいきさつは語られていない。
北村薫は、小説のあとがきとも言えるところに、こうかいている。
割合、普通に(というのも変ですが)、さきちゃんたちのように、お母さんとお子さんで、生活のチームを作っている方に、お会いします。中に入ってみたわけではありませんが、書き手としてのわたしは、そういうお宅では、《親子》の縦のつながりが、《友達》の横のつながりに、近づくような気がしました。自分のいつか歩いた道を通って来る友達の、哀しみやおびえや喜びを見つめる目と、見つめられる小さなさきちゃんを書いてみたいと思いました。
たとえばお母さんは、宮沢賢治の童話『さそりの井戸』の話をする。
さそりはお腹が空くとほかの虫を殺して食べ、生きていた。ところがあるとき、お腹の空いたいたちに追いかけられ、逃げて逃げて逃げて、古井戸に落ちてしまう。さそりは考える。こうして誰の役にも立たないまま死んでいくのなら、いたちに食べられた方がよかった、そうすればいたちも今日を生きのびられたのに、と。それを聞いた神様は、さそりを天に上げて星にした。
さきちゃんは、考えた。
いたちに食べられた方がよかったと思ったからと、神様がさそりをいたちの前に置いたら、さそりはやっぱり逃げるのだろうか。逃げたら神様は、嘘つきだと怒るのだろうか。
お母さんは、すぐに、さきちゃんに頭を寄せていいました。
「……怒らないよ」
本当は、《それに、神様だったらそんな意地悪なことしないよ》と続けたかったのです。でも、この世ではいろいろなことが、――本当に信じられないようなことが――起こります。だから、そういい切る自信がなかったのです。ただ、これだけはいってあげたいと、同じ言葉を繰り返しました。
「怒らないよ」
またたとえば、住んでいるところの決まりで動物が飼えないこと知りつつ、さきちゃんは猫を飼いたいと思っていた。お母さんもそれを知っている。だからつい、車から見えた猫を気にかけるさきちゃんに言ってしまう。
「今、野良猫には、悪い病気が流行っているんだってさ」
そういう記事が、新聞に載っていたのです。
お母さんが、車を走らせて行くと、学校の塀の途切れる辺りで、後ろから声がかかりました。
「……どうして、そういうことをいうの」
お母さんは、はっとしました。
運転しています。前を見ていなければなりません。それでも、さきちゃんの瞳が目に浮かびました。濡れています。
わたしはシングルマザーではないが、この小説のさきちゃんとお母さんのなかに、子どもたちと過ごしてきた時間を感じることができる。
そのなかには、いくつもの「後悔」がある。しかしもちろん、温かなものもある。
だが母親とか子育てとかそれ以前に、この小説には、人が人を大切に思うことの素晴らしさがあふれている。
著者北村薫は、男性である。知らずに読めば、子育て経験のある素敵な女性がかいたものだと誰もが思うだろう。だから尚のこと感じるのだが、男女の違いや年齢の違いを超えたところにある、人を大切に思うこと、家族を大切に思うこと、そうやって生きていくことの意味のようなものを考えずにはいられない。というより、読んでいると知らず知らず心に留めている。
シングルマザーにも、そうでない人にも、ぜひ読んで体感してもらいたい大好きな小説だ。
文庫本にも、おーなり由子の絵がたくさん入っています。
自転車に乗れるようになったさきちゃん。
台風が通り過ぎたばかりの空を見上げるふたり。
さきちゃんの隣の席のムナカタくんと、連絡帳でへんてこなやりとりをするお母さん。
この絵、大好き。
そして、この絵も。
☆このコラムは、シミルボンのお題「#女性が生きる姿を見つめよう」に投稿したものです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。