WOWOWドラマ『坂の途中の家』を、ようやく観終えた。
全5話だが、1話重ねるたびに観るのが辛くなるドラマだった。
3歳の娘を育てる専業主婦の里沙子【柴咲コウ】は、裁判員制度の補充裁判員となる。扱うのは、母親が8カ月の赤ん坊を風呂に落とし死なせた事件だった。
里沙子は次第に、赤ん坊を殺した水穂【水野美紀】に自分を重ね合わせていく。
夫が帰って来る、帰ってくると連絡があった、連絡があったということは、きちんとしておけということだ、きちんとしておかないと何か言われる、部屋は片づいているか食事の用意はできているか、そんなときに子どもがぐずって泣き出して、何から手をつけていいのかわからなくなる。パニックになる。こんなことでパニックになるのはおかしいとわかっている。けれど気がつけば必要もないことを始めている。
自分を重ね苦しみ、やがて気づく。自分も水穂と同じく夫、陽一郎【田辺誠一】にモラルハラスメントを受けながらも、それについて考えることを放棄していたのだと。さらに子どもの頃から自分を否定し続けてきた母【高畑淳子】の捩じれた愛が、陽一郎のそれと重なることにも。
憎しみではない、愛だ。相手をおとしめ、傷つけ、そうすることで、自分の腕から出ていかないようにする。愛しているから。それがあの母親の、娘の愛しかただった。
それなら、陽一郎もそうなのかもしれない。意味もなく、目的もなく、いつのまにか抱いていた憎しみだけで妻をおとしめ、傷つけていたわけではない。陽一郎もまた、そういう愛しかたしか知らないのだ――。
閉じていた思考の扉を開け、知る。自分の知らない裁判という世界に妻が出ていき、自分がたいして立派な男ではないと気づいてしまうことが陽一郎は不安で、里沙子を否定し傷つけていたのだと。
『坂の途中の家』というタイトルは、同じように立ち並ぶ建売住宅をあらわしている。どこにでもある家で暮らす育っていく途中の核家族の家庭だ。
裁判員になったサラリーマン山田【松澤匠】は、贅沢に育った妻が求める暮らしとの狭間で悩む。同じく裁判員の女性誌編集長六実【伊藤歩】は、妊活中。夫との関係も周囲の無神経な言葉にも傷ついている。1歳の子を持つ裁判官松下【桜井ユキ】は、夫と家事も子育ても折半するつもりでいるが夫はそれを受け入れられない。
それぞれが、それぞれに、たぶん坂の途中の家で暮らしている。
人物相関図は → こちら
ドラマとして素晴らしかったのは、水穂と里沙子を重ねていく手法だ。
映画『アヒルと鴨のコインロッカー』を思い出した。違う人物をひとりに仕立てる手法が際立つ映画だ。
もし出会い方が違っていたら里沙子と水穂は、心許し合える友人となっていたかも知れない。ふっとそう思えたのは、その描き方故だったと思う。
「あの殺人犯(ヒト)は私かもしれない」という言葉にドキッとします。
柴咲コウは、自分に自信が持てない母親を好演。水野美紀の演技は、それ以上にすごかった。最初、水野美紀だとわかりませんでした。田辺誠一の悪意のないモラルハラスメントも、彼ならではの表現を感じました。
小説『坂の途中の家』の感想は → こちら
とても興味深いドラマですね。
見たいな~。
数年前、水穂のようなお母さんを知りました。
夫が怖くて、パニックになってしまうのでした。
『とにかく針のむしろなのです』そういっておびえていたのを覚えています。
でも私にもどうする事もできず、専門家が介入しにくい問題で、いつも今どうしているかな~と思うばかりです。
裁判員制度そのものに異議ありの私です。
その場にいって心を病む人も多いと聞きます。
やっぱり専門家が判断すべき問題だと思うのは私だけでしょうか?
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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