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はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

『おもかげ』

竹脇正一(たけわきまさかず)は、65歳。穏やかな老後が待っているはずだった。だが、商社を定年退職し、自らの送別会の帰りに地下鉄のなかで倒れた。意識は戻らず、集中治療室で身体じゅうに管をつけられた状態だ。

 

〈第一章〉物語は、彼のもとへ駆けつけた家族や友人の一人称で始まる。「旧友」同期入社の社長、「義理」娘の夫、「幼なじみ」同じ施設で育った友。

 

〈第二章〉正一は、意識を取り戻さないまま、しかししっかりと意識を持っていた。眠りながら周囲を見まわし、見舞客の言葉を聞き、様々なことを考える彼の視点で語られる。そこに「マダム・ネージュ(雪)」と名乗る歳の頃80ほどの女性が現れた。

びっくりして両腕をさすった。点滴の針どころか、一片の絆創膏さえ触れなかった。やはり夢なのだ。いや、夢にしてははっきりしすぎているから、きっと点滴の中に麻薬のようなものが含まれていて、幻覚を見ているのだろう。そうにちがいない。マダムに手を引かれてベッドから下りた僕は、そのとたんスーツ姿に変わっていたのだから。

マダムとは、豪華なディナーをとり別れた。

次は、夏の海にいた。妻と娘と3人で海水浴を楽しんだ、静かな入り江だ。そこでは、くったくなく笑うサンドレスの女と過ごした。彼女は言う。

「人間は、いやなことを忘れるの」

4歳で死んだ息子のことを、忘れることで生きてきた。その入江は、息子の遺影に海を見せようとする妻と言い争いをした場所だったのだと思い出す。

 

〈第四章〉同じく集中治療室で眠る80歳のカッちゃんと、銭湯に行き、屋台のおでん屋で一杯やる。戦災孤児だったカッちゃんは、壮絶な子ども時代を語る。そして、孤児院で育った正一の心の傷を炙り出そうとする。

「親を知らない子供よりも、親を忘れた子供の方がかわいそうでしょう」

「忘れるほうがマシだろ。それに、俺の親は空襲で焼け死んだが、あんたの親はどうなんだ。もしや、生きてたんじゃねえのか」

カッちゃんを見送り、地下鉄に乗ると、そこには「峰子」がいた。カッちゃんの話のなかに出てきた戦災孤児たちを束ねていた美しく若き女ボスだ。

 

ラスト〈第六章〉正一は、地下鉄に揺られていた。

「何をしてもよい」と考えれば豊饒な時間だが、「何もしなくてもよい」と考えれば貧困な時間なのである。老後の生活というのはつまり、そのふたつの考えが相反するどころか同義となる時間のことであって、しかし同義とは言え節子は「何をしてもよい」と考え、僕は「何もしなくてもよい」と考えているらしい。だから僕は怠惰であり、節子は家事と趣味に忙しい。

「ねえ、あなた。帰ってきて」

僕だって帰れるものなら帰りたいよ。

意識不明でありながら様々な人の「おもかげ」と出会い、過去と未来と今を反芻するかのように考えていく65歳の男。

果たして心の痛みは、身体の痛みを自衛本能で脳がコントロールするように、忘れ去ることはできるのか。忘れなければ、生きていけないこともある。しかし。

 

著者、浅田次郎は言う。

同じ教室に、同じアルバイトの中に、同じ職場に、同じ地下鉄で通勤していた人の中に、彼はいたのだと思う。

地下鉄がふたり目の主人公と言ってもいいストーリーでした。毎日新聞連載小説。夫が買って読んだ本なので珍しくブックカバーをしたまま読みました。なので、表紙も帯の文句も読み終えてから見ることになり、そういうのもまたおもしろいなあって思いました。

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PROFILE

プロフィール
水月

随筆屋。

Webライター。

1962年東京生まれ。

2000年に山梨県北杜市に移住。

2012年から随筆をかき始める。

妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。



『地球の歩き方』北杜・山梨ブログ特派員

 

*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。

 

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