本棚の整理をして、売る本をセレクトする。そこで拾い上げられる本がある。
『つやのよる』(新潮社文庫)は、夫が以前読んでいた本で、そのときには食指が動かなかったのだが、今わたしは拾い上げた。
行定勲により、映画化もされた小説だ。裏表紙の紹介文には「男ぐるいの女がひとり、死の床についている。その名は艶」とある。
艶にかかわった6人の女と艶の夫を、連作短編で描いている。
1『艶の従兄の妻、石田環希(51歳)』小泉今日子
毎週土曜にはふたりでランチに出かける50代の夫婦。けれど、言いたいことにも聞きたいことにも蓋をして、何が聞きたいんだかわからなくなっていく。
でも、仕方がない。その度に環希は、そう思い直した。夫がどうしても会社を辞めなければならなかったように、私にもどうしても何も言えなかったんだわ。そういうことがこの世界には――あるいは、夫婦の間には――どうしても起きるものなんだわ。
2『艶の最初の夫の愛人、橋本湊(29歳)』野波麻帆
男にとってやりたいと可愛いは同じ意味? じゃあ、アイシテルは?
「僕、真珠が入っているんだ」
太田さんはそう言った。「好きだ」の次の言葉がそれだったのは確かだ。真珠入りの男と寝たことはなかった。だから今この男と寝る、というのが正しいかどうかはともかくとして、気が利いてる、と湊は思った。この告白はクールだ。
3『艶の愛人だったかもしれない男の妻、橋川サキ子(60歳)』風吹ジュン
サキ子の夫は、煙草を買いに行ってくると出かけたまま自殺した。思い当る節が何もないことに、サキ子は苦しめられている。
三十年に及んだ結婚生活は、幸せでも不幸でもなかった。そのようにサキ子が過ごしてきたからだ。嬉しいことや悲しいこと、腹立たしいことも愉快なこともあったが、それに幸福とか不幸とかいった名前をつけることはせずにきた。
4『艶がストーカーしていた男の恋人、池田百々子(33歳)』真木よう子
百々子の彼は、艶に追いかけられていた。女に好かれる優男なのだ。
だからどこかに俺の子供がいるんだよね、と優が言うのを聞いたこともあった。でもどこかにいる優の血を分けた子供のことは、どこかにいる優が寝た女や寝ている女に比べると、時間的にも距離的にもずっと遠い、弱々しい印象だったから、ほとんど忘れかけていた――母子がやってくるまでは。
5『艶のために父親から捨てられた娘、山田麻千子(20歳)』忽那汐里
母は、艶と一緒になるために出ていく父を穏やかに見送った。そのせいかどうか、麻千子は恋人の幼稚さに呆れ、大人の男を求めていく。
東京の大学の先生っていうのは洒落てるのねえ。母親が感心したように囁く。東京ということに幻惑されて、薄暗いバーで同じ大学の女子大生と教授がばったり会うのもよくあることだと思っているようだった。このぶんだと、私あの教授とセックスしてるのよと打ち明けても、東京だからということであまり驚かれないかもしれない。
6『艶を看取った看護婦、芳泉杏子(31歳)』田畑智子
離島で暮らす杏子は、別れた恋人を忘れられぬまま、見合いをする。
杏子は不思議になる。失ったものなのに、それがまだちゃんとそこにあることが。それは傷ではなくへこみのようなものだった。もし触れることができたなら滑らかな手触りを感じるだろう。遠くにあるすべすべしたへこみ。
7『艶の最後の夫、松生春二(49歳)』阿部寛
松生は、艶に出会ってから忙しくなった。艶を追いかけることにも、頭のなかで、艶や艶の男について考え続けることにも。
俺はもうあの女を愛していない、と松生は思う。「もう」どころか、最初から愛してなどいなかった気がする、と考える。ただ松生は、艶にまだいてほしいのだった。彼が知っている艶のままで。死ぬことはわかっていたが承服はしていなかった。それが艶へのシンパシーではなく自分自身の問題であるようだった。艶の死は艶が次々に作る新しい男に似ていた。死ぬことは決まっている。どうにもならない、だが認めることはできない。
どうにもならない焦げつくほどの思いを抱えた男と女の群像劇である。
人間に表と裏の顔が、多面性があるとすれば、心にも定まることのない多面性が、自分さえも知らずどうにもできない部分が不意に顔を見せることがある。それを突きつけてくる小説だった。
2013年に映画化されているので、その前年の暮れに買ったものでしょうか。ひと言でいうと、井上荒野は、すごい!
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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