正月には、新刊を一冊買う。自分へのささやかなお年玉である。
今年は森絵都の『みかづき』(集英社)を選んだ。
帯には「昭和~平成の塾業界を舞台に、三世代にわたって奮闘を続ける家族の感動巨編!」とある。
昭和36年。舞台は千葉の習志野市。小学校用務員の大島吾郎は22歳。赤坂千明は27歳。千明の娘、蕗子は小学一年生だった。「塾」という言葉を教員さえもが知らなかった時代に千明は吾郎を強引に誘い、塾を立ち上げる。
昭和46年。結婚した吾郎と千明には、蕗子の下にふたりの女の子、蘭と菜々美が生まれていた。八千代新塾は、世間から塾が注目されていくとともに合併も経験し規模を拡大していく。
昭和54年。受験のための進学塾か、授業についていけない子のための補習塾か。千明と吾郎は、食い違う溝を埋めることができない。
昭和59年。吾郎退いた後、塾長となった千明に、容赦なく降りかかってくる難問の数々。塾同士の足の引っ張りあい、講師たちのストライキ、保護者たちの自分勝手な要求。そして、吾郎の愛人と偶然再会し、行方不明となった蕗子の消息を知らされるも、中学生になった菜々美の受験にも頭を悩ませていた。
以下本文から。
「やっぱ高校、行かないかも」
足首まで靴ひもを結い上げたバスケットシューズを外し、猫の毛で胸もとをあたためながら二階へむかう後ろ姿を、千明は焦り声で呼び止めた。
「待ちなさい。菜々美、あなた、また何を言いだすのよ」
「時間の無駄って気がするんだよね。どうせ勉強嫌いだし、無理して高校を出なくたって、あたしなりに楽しく生きてく道はあると思うし」
「なに言ってるの。どうせまた真紀ちゃんと英美ちゃんでしょ。高校に行くなって言われたの?あの子たちとは距離を置きなさいって言ったじゃない」
階上まで追っていった千明に、菜々美は醒めた声を返した。
「真紀も英美もいい子だよ。勉強できないけど、クラスで一番優しいし。高校へ行かないっていうのは、自分で考えて決めたこと。悪い?」
「悪いもなにも」
「お母さんが言ったんじゃん」
「私?」
「お母さん、前はよく言ってたじゃん。人の言うことに惑わされないで、自分の頭でものを考えろって。だから、あたし考えたの。そしたら、考えれば考えるほど、高校に行く意味がわかんなくなっちゃって」
おとなしく抱かれているシロウに頬をすりよせ、菜々美が声を沈める。
「がつがつ勉強して、いい大学に入って、いいところに就職して、お金をいっぱい稼ぐため?ほかのみんなに勝って幸せになるため?そんなせちがらい競争で人生つぶしてる段階で、もうみんな、全員が負けなんじゃないの」
その後平成を迎え、物語は蕗子の息子、一郎へとバトンをつないでいく。
年代ごとに流行ったものが登場するのも、この小説の楽しみにひとつだ。
東京オリンピック、アポロの月面着陸、反戦デモのほか「じっと我慢の子であった」というセリフや、口裂け女はポマードに弱いとか、ビリーズブートキャンプに夢中になる様子もある。
テーマは「教育」というと小難しい感じがするけれど、3人の子どもを育ててきただけのわたしにも、胸に迫るシーンがいくつもあった。
いくら力を尽くしても、思い通りにいかないもの。
読み終えて、半月に近づいた月を見上げ、その大きさを思った。
教育というものを変えていこうとあがき、思い通りにいかない歯がゆさを抱え続けた千明は、母親としても、そして祖母となってもまた、その歯がゆさを抱え続けていくのだった。
装画は、水谷有里。イラストギャラリーのページがありました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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