『ハリネズミの願い』(新潮社)を、読んだ。
オランダの作家であり詩人でもあるトーン・テレヘンが描いた大人向けの〈どうぶつたちの小説〉の一冊だそうだ。新聞の書評を読み、手にとった。
帯には、谷川俊太郎の言葉がかかれている。
「ハリネズミの孤独が私たちの孤独になる」
書評にも、臆病なハリネズミと自分を重ねて読む人が多いとあった。
ひとり暮らしのハリネズミは、秋の終わりに思い立つ。今まで誰も招待したことはないけど、もし招待しますと手紙をかいたら?
――キミたちみんなを招待します。
しかしハリネズミは、こう添えた。
――でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。
それからハリネズミの妄想が始まった。もし誰々がやって来たら? それは常に最悪な訪問だった。以下、本文から。
でもラクダはいつかやってくるかもしれない、と思った。はるばる砂漠から何日も走って、ぼくに会うためだけに!
ハリネズミは心臓がドキドキするのを感じた。すべてはぼくの手紙のせいなんだ……送れば、の話だが。
ラクダの姿を思い浮かべてみた。まだ息が荒く、喉が渇いていた。
ハリネズミはバケツ一杯紅茶を淹れた。砂ケーキも急いでいくつかつくった。
ラクダは紅茶を飲み、砂ケーキを食べた。
それからゆったりと後ろにもたれ、おどろいて部屋のなかを見わたした。
「あれはなに?」ラクダが指をさして聞いた。
「椅子だよ」ハリネズミが答えた。
「あれは?」「ベッド」
「あれは?」「窓」
ラクダはすべてを指さし、そのたびに首を振った。それらすべてのものが不必要に感じられたからだ。
「それは?」今度はハリネズミの背中のハリを指さしていた。
「ハリだよ」
「キミのハリなの?」「うん」
「そんなに必要のないものを見たのははじめてだ」
サイは踊った勢いでハリネズミを放り投げ、ゾウはテーブルと椅子を壊し、ダチョウはあらゆるものに頭を突っ込み、カメとカタツムリはたどり着かない。
ひとりでいる方がいい。誰も訪ねてなんて来なくていい。ハリネズミはそう思いながらも、もし誰かが訪ねてきたらと妄想を繰り返す。来て欲しいんだけど、でもほんとに来たらどうしよう。そんな負のスパイラルにどっぷりとハマり、妄想はますますネガティブな方へと向かっていくのだった。
不安はいつも、種を蒔くとするすると伸び始める。ハリネズミの不安は、持て余した孤独を糧に自らをがんじがらめにするほどに育っていく。
はてさて。ハリネズミは冬の眠りが訪れる前に、誰かを招待できるのだろうか。
表紙が可愛い~。訳は、アムステルダム在住の長山さき。
トーン・テレヘンは、ケニアでマサイ族の医師をしていた方だそうです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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