津村記久子を、引き続き読んでいる。
裏表紙の紹介文には、こうある。
働くことを肯定したくなる芥川賞受賞作。
職場に貼られた世界一周旅行のポスターに、ナガセは目を留めた。
163万円。
それは、工場で働く29歳の彼女の年間の手取り額とほぼ同額だった。
母子家庭で育ったナガセは母親とふたり暮らし。夜は友人ヨシカのカフェでバイトし、土日はパソコン教室で教え、家では内職もする。古い家の修繕費を稼がなくてはならない。
だが、ナガセは決めた。
ちょっと一年間だけ、ヨシカの店のバイトとパソコン教室の収入だけで生きてみよう。
1年で163万円貯めようと。
登場する大学時代の友人はヨシカ、そよ乃、りつ子。
金銭感覚がもっとも違うのは、そよ乃だ。
結婚して専業主婦、子供ひとり。マイホームの頭金を出してもらうだけではあきたらず、子供の教育費も親を頼りにしようとしている。
ひとり働くヨシカとナガセには、理解できない感覚だ。4人で久しぶりに会った日の帰りも、ナガセは考えていた。
近鉄奈良-阪神三宮間の電車賃往復-880円、ということから始まって、思わず買ってしまったミュージアムグッズ1,050円や、神戸市立博物館に行く前に行ったカフェ1,350円や夕食に入った洋食屋1,150円などの代金を足すと、5,430円を使っていた。月給を付きの営業日で割ると6,000円強なので、一日弱の労働を今日の会合に使っていた。
小さな額のお金にこだわることは、特に日本では「せこい」と思われがちだ。
でもそれが、日々働いた時間に換算されるとしたらどうだろう。
そよ乃と同じく子どもを持つ専業主婦のりつ子は、しかし、家を出てナガセの家に転がり込む。
結婚する時に、これからいろいろなことに使っていかないといけないし、貯金を合算しようと夫に言われ、気は進まないがそうした。何しろ自分はこれから専業主婦になって所得がなくなるなるのだし、良い家庭を作るためには、大した額ではないが自分の貯金も役立てるのが筋だと最終的に判断したからだった。
りつ子は、家を出た今もその200万が脳裏から消えないのが悔しいという。子供の予防接種代を出すのも渋るくせに、夫はすぐに車を買い換えたがる。50インチのテレビを勝手に買う。夕飯が気に入らないとひとり分だけ出前をとる。
自分でも忘れたいと思いつつも、納得のいかないお金のやりとりは、いつまでたっても忘れられないものなのだ。
ナガセは、りつ子にお金を貸した。
-28580
(気前が良すぎる?)約五日分の労働。ずっと寝ていて工場やカフェを休んでいたと考えれば良い。自分をだます。
そんなある日、ナガセはポトスを食べている夢を見た。
葉っぱを縦に細く切ってドレッシングであえたり、さっと煮ておひたしにしたり、根をすりつぶして薬味にしたリ、茎を味噌汁に入れたりしていた。味は、ネギほどの刺激はなく、ほうれん草よりまろやかで、キャベツより苦味があり、レタスには及ばない水気があった。
ポトスを食べたナガセは、満足して、にやにやしながら手帳に書きつけていた。
-0
世界一周旅行と同じだけの-163万円-を手にしようと、必死に働くナガセの行きついた先は。
毎日を生きること、働くことを、あらためて俯瞰したような、突然窓が開いたような感覚になり、ハッとさせられる小説だった。
表題作と「十二月の窓辺」の2話が収録されていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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