何もかもが満たされている。たったひとつのことを除いて。
『奥様はクレイジーフルーツ』(文藝春秋)は、セックスレスに悩む女性の物語だ。
一番の問題は、セックスしなくても、夫と初美がとても仲良く、楽しく生活している点かもしれない。歩くときは必ず手をつなぎ、お風呂は一緒に入り、ハグもキスも欠かさない。
島村初美は30歳。5歳年上の夫がいる。彼は初美のことを「はちゅ」と呼ぶ。女性誌の編集長で午前様の毎日だが、男友達と飲んだくれて帰ってきた妻のブラウスのシミ取りをしてくれる優しすぎる男だ。
「啓介さん。ねえ、これからセックスしようよ。そうじゃないと、私、欲求不満でどうにかなっちょうかも」
彼は何も言わなかった。ややあって、初美の腕の中で、夫の背中が動いた。
「うん。今度ね。今はね、くたくたなんだ。はちゅも二日酔いでしょ。もうちょっと寝たら、ブランチにしよう。駅前にできたパンケーキ専門店に食べにいこうか」
他のことが満たされていると、余計に満たされない部分が気にかかる。
なぜ夫は、こんなにもわたしを拒むのか。
それならわたし、他でしちゃってもいいんじゃないのか。
子どもだって欲しいのに。
初美は、自問自答に追い詰められていく。
お洒落な小説である。
章ごとに果物がテーマになっていて、その使い方もチャーミングだ。
1章は「西瓜のわれめ」
西瓜のソルティ・ドッグを飲みながら、大学時代の男友達、羽生(はぶ)ちゃんに、夫とセックスレスなのだと打ち明けてしまう。
「難しいよね、夫婦って。大切に労わりあうほど、エロいところからは遠ざかる気がする。恋人時代は俺だってさ、夜勤でクタクタの奥さんに平気で襲いかかっていたけど、今じゃさあ、俺の欲求に付き合わせるくらいなら、五分でも多く眠って欲しいもん。実際、おっぱい触るより、足のマッサージしてあげた方が、向こうは喜ぶわけだしさ」
羽生ちゃんと初美は、その後セックスレス同盟を組む関係となる。たがいに、ふたりでセックスしちゃったらいいかもと思いつつ、理性がストップさせる。
大好きな人と一緒にいて、楽しくて、でも足りない。
小説の初めでセックスレス3か月だった初美は、3年になるまで悩み続ける。
子どもがふたりいて夫のほかに愛人がふたりいる親友、芽衣子。夜ごとベランダで半裸で過ごす初美を見ていた浪人生、淳平。大学のゼミの王子様だったのに変なセミナーにハマった上田。
みんな、いったいどうしたいのか。
あなたが相手にしてくれないから、よその誰かとセックスしてきます。探すなかれ。
初美はとうとう、家出するのだが。
足りないもの。
いっぱいありすぎるような、何もないような。
例えば食卓で「美味しい」という言葉が聞きたいのに、それだけが足りないと思う人もいるだろう。また例えば、ひと言の「お疲れさま」がないがため仕事の愚痴を言いだせず、やるせない思いをしている人もいるだろう。
それはたぶん、セックス以外にもたくさんあって、もしかしたらすべての夫婦、恋人の共通項なのかも知れない。
とは言え、初美の夫の嫌がりよう。傷つかない女性はいないと思うんだけど。
わたし的には、初美と羽生ちゃんが飲みに行く旬のフルーツを使ったソルティ・ドッグを出してくれるバーに魅力を感じる1冊だった。西瓜のソルティ・ドッグ。うーん、飲んでみたい。生ミントとライムのモヒートもいいなあ。
皮を剥いたらピンク色。と言っているかのような装幀でした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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