163回直木賞を受賞した馳星周『少年と犬』は、東日本大震災で飼い主とはぐれた「多聞(たもん)」が寄り添う人たちを描いた6編の連作短編集だ。
「男と犬」
震災から半年後の仙台、仕事を失った20代の和正は、犯罪に加担していると知りながら盗品の配達で日銭を稼いでいた。震災後症状が悪化した若年性認知症の母とその世話に疲れ切った姉も食べさせていかなくてはならない。ギリギリの生活のなかで家族の陽だまりとなったのは偶然拾った犬、多聞だった。
「泥棒と犬」
窃盗団のミゲルは、仲間割れした追手から逃れ故国へ帰ろうと多聞ととにも新潟へ向かう。ヒッチハイクしたトラックで、多聞は道がカーブするたびに方向を変えずっと南を向いていた。
「きっと、南にいるのはこの犬にとって大切なだれかだろうな」
「何が言いたい?」
ハーミが肩をすくめた。
「あんたは犯罪者かもしれないが、魂まで腐っているようには見えない。そういうことだよ」
「こいつはおれの守り神なんだ」
「夫婦と犬」
富山の田舎で暮らす40代の大貴と紗英は、ともに暮らしながら気持ちがすれ違う日々だった。マイペース過ぎる大貴は、多聞を拾ってきたはいいが世話は紗英まかせだ。ふたりはそれぞれ違う名で多聞を呼ぶようになった。
「あの犬に名前つけてあげなきゃ。それで、わたし考えたんだけど-」
「トンバだ。さっき思いついた。いい名前だろう? アルベルト・トンバだよ」
大貴が口にしたのは往年のスキープレイヤーの名前だった。
「わたしは-」
「じゃあな」
紗英が言葉を繋ぐ前に電話が切れた。いつものことで、腹が立つこともない。
いつのまにかクリントが足もとにいた。
「トンバだって。そんな名前嫌よね。とんまみたい」
紗英はクリントの頭を撫でた。
「娼婦と犬」
滋賀で身体を売って暮らしている20代の美羽は、林道で多聞を拾いレオと名づけた。娼婦をしているのは金をせびるばかりのどうしようもない男に入れあげたからだった。
「老人と犬」
島根に住む膵臓がん末期の弥一は狩猟の達人だが、相棒の猟犬を亡くしてからは狩猟に出ることもなくなった。治療を拒み、ひとり静かに死を迎えようと考えていたところに現れたのが多聞だった。弥一はノリツネと名づけともに暮らすことにした。ノリツネはいつも西南、九州の方へと顔を向けていた。
「よっぽど大切な家族なんだな。だったら、おれのことはいいから、行っていいんだぞ」
ノリツネが首を傾げた。
「おまえの本当の家族なんだ。家族のもとにいるのが自然だろう。なんだっておれのところにとどまってるんだ?」
ノリツネに言葉をかけながら、弥一は自分で答えに辿り着いた。
ノリツネは弥一の死を見届けようとしているのではないか。
「少年と犬」
震災から5年。被災者である内村は、遠縁を頼り熊本の田舎で妻と息子と暮らしていた。息子の光は3歳で被災してから、笑わず泣かず怒らず言葉も発しなくなり8歳になった今もその状態が続いていた。多聞は林道で内村に拾われる。
一気読み必須のおもしろさだった。
ひとつひとつの短編にエッジが効いていて、ハッとさせられる。
登場人物はみな、一所懸命生きているのに、上手くいかない。
震災が起こした様々な出来事、貧しさ、すれ違う夫婦、思うようにいかない恋、寄る年波と病、心を閉ざした子供。
多聞はただ、自らが持つ体温でそっと寄り添いぬくもりを分けることしかしないが、出会ったそれぞれの者たちにはその無償の愛が伝わり、心の奥深く自分でも預かり知らぬ場所の扉を開き、多聞という存在を受け入れていく。
多聞は、宗教を超えたその先にいる神様だったのかもしれない。
表紙を見たときから思っていましたが、多聞は、7年前に死んだびっきーによく似ています。
シェパードと和犬のミックスというのもたぶん同じです。そして、びっきーの体重は20㎏。多聞は20㎏から30㎏のあいだとありましたから、びっきーより少し体格がいいですね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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