果てしなくぼんやりしたくなって、手に取った。
ヨシタケシンスケのイラストエッセイだ。タイトルの通り「思わず考えちゃった」ことを、絵本作家らしくスケッチする日常で、小さなことをよく「思わず考えちゃう」わたしには、なかなかに共感できた。
たとえば、ストローを出したあとの袋に、注目する。
ぼくのストローのふくろとですね、嫁のストローのふくろが全然違うなって、この間思いまして。
僕なんかは、ストローが紙袋に入ってるじゃないですか。細長い奴に。あれからストローをプシュッときれいに出した後のふくろは、絶対、こうやってちっちゃくきゅっとしたい。なんかそういう奴なんです。
でも、おそらく大体の方は、くしゃくしゃのふくろはそのままなんです。
なるほどなあと思う。そして、自分は? と考えたとき、どちらもあり派だと気づく。気分によって、くしゃくしゃのままだったり、きゅっとしたくなったり。細かく分類すれば、どっち派という括りでも済まなさそうだ。深い。
もちろんいい悪いじゃないんですけど、気がつくとあっちのふくろをじっと見ちゃってる自分が居て、さっきからふわふわして、今にも飛んでいきそうな紙袋が気になってしょうがない。
そうか。気になるのか。
ところが、全くそれが気にならない人が世の中にはいて、そういう人と結婚まで出来るっていう、そういう人生の奥深さに、改めて感動したりもします。
わたしも気にならない派だ。
三個パックのヨーグルトがあって、くっついて売ってるじゃないですか。一つ食べました。残りが二つ繋がって、下に紙の台座が付いて、冷蔵庫に入ってます。二つ目を食べたときにその台座をどうするか問題があって。
ヨシタケ氏は、これも気になる。1つ食べた時点で台座を取り除く。が、妻は残り1個になっても台座のまま放置する。そこに思う。
いやあ世界って広いなあというか、こういう身近に、そういうわからないことって、あるんだなあっていう。
最も自分にとって遠い場所、物っていうのが、世界の裏側まで行かなくても、もう家の冷蔵庫の中だけで一杯あるわけです。
なるほど、なるほど。ここはわたしもヨシタケ派だった。1個食べた時点で台座は、ぜひ捨てたい。
ん? ストローくしゃくしゃ派で台座捨てたい派って、珍しいの?
と、つい考えて、いやいや世界は広いのだよ、冷蔵庫のように、と思い直しページをめくる。
2児の父であるヨシタケ氏の子育て日記的な第2章や、さらに深く人生を考えていく第3章も、読んだ日の気分で捉え方も変わってきそうで、おもしろい。気が向いたときにパラパラとめくりたい本である。
帯には「読むとクスッとしてホッとしてちょっとイラっとするスケッチ解説エッセイ!」とありました。
ストローの絵は、こんな感じ。
ヨーグルトの絵は、こんな感じ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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