村上春樹セレクトの十編のラブ・ストーリーからなる短編集『恋しくてTen Selected Love Stories』(中公文庫)の読後雑感、第3弾。
ラストに収められた、村上春樹自身の作品『恋するザムザ』について。
作者曰く。フランツ・カフカの『変身』後日譚のようなものだそうだ。
男は目覚めた。判っているのは、どうやら自分はグレゴール・ザムザという名の人間の男に生まれ変わったということだけ。今いる場所が判らないだけではなく、身体の動かし方さえもが判らない。二本足で歩くことに苦痛を感じ、魚や向日葵に生まれ変わらなかったことに落胆する。
しかし彼は、恋をした。恋という認識もないままに。訪ねてきた鍵修理のせむしの女。彼女が身体をねじる仕草を見て。以下本文から。
そのねじりの動作を背後から観察しているうちに、ザムザの身体の中で不思議な反応が起こり始めた。身体のどこからともなく少しずつ温かくなり、鼻腔が開いていく感触があった。口の奥が乾いて、唾を飲み込むと耳元でごくんという大きな音がした。耳たぶがなぜか痒くなった。そしてそれまでただだらしなくぶらさがっていた生殖器が硬くひきしまり、太く長くなり、だんだん上に持ち上がっていった。おかげでガウンの前がふっくらと盛り上がった。でもそれがいったい何を意味するのか、ザムザには皆目わからない。
ザムザはまた逢いたいと心底思うが、娘はガウンの前を見て肩をすくめる。
彼らがいる場所は、どうやら戦火に包まれた街らしい。
「しかし妙なもんだね」と娘は思慮深げに言った。
「世界そのものがこうして壊れかけているっていうのに、壊れた錠前なんぞを気にする人がいて、それをまた律儀に修理しに来る人間がいる。考えてみればけったいなもんだよ。そう思うだろ?でもさ、それでいいのかもしれない。意外にそれが正解なのかもしれないね。たとえ世界が今まさに壊れかけていても、そういうものごとの細かいあり方をそのままこつこつと律儀に維持していくことで、人間はなんとか正気をたもっているのかもしれない」
「細かいあり方をそのままこつこつと律儀に維持していくこと」
生きていくことが世界の崩壊を目の当たりにすることだとしたら、恋をするって、そういう細かいことの方なのかも知れない。そして人にはそれが、鍵を直すことと同様に必要なのだ。
恋する気持ちも、毎日使う家の鍵も、もちろん大切だ。けれど戦争をしない国に、世界にしたいと考えることもまた、とても大切なことだ。人間はそういうことを考えたり、考えなかったり、行ったり来たりしているのかも知れない。
ふたたび表紙絵を描いた『宵待草 竹久夢二歌の絵本』の中から。
風景画もたくさんありました。『里祭』シュワーヴェン民謡。1924年。
歌劇ホフマン物語『舟歌』1916年。
『ミネトンカの湖畔』1923年。挟んであった絵葉書は『朝の光へ』
ミネトンカはアメリカ、ミネソタ州の街で現在のミネアポリス市の語源だとか。
ミネアポリスは「水の都市」という意味を持つそうです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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