続けて、吉田修一の短編集。
「ありふれた日曜日」が「特別な日曜日」になった男女をテーマにしている。
5編の短編に登場する人物たちはかかわりはないが、共通して幼い兄弟が登場する。
例えば「日曜日のエレベーター」で渡辺は、恋人の圭子に別れ話をしようと口を開いた途端、なぜかパチンコ屋で見かけた子供たちの話をしてしまう。
「ヘンな子供?」
「別にヘンでもないんだけどな、上が小学三年生くらいで、弟が小学校に上がったばかりくらいなのかなぁ、そっくりな顔した兄弟が、ほら、俺がいつも行く西口のパチンコ屋あるだろ? あそこの駐車場に突っ立ってたんだよ」
チョコレートをやると、兄弟は貪るように食べた。渡辺は、ふたりにたこ焼きをおごり、ふと自分のなかの変化に気づくことになる。
「日曜日の被害者」で夏生は、親友の千景から電話に驚く。
初めて入ったバーで出会った男たちに薬を盛られ、駅に放置され、盗まれた鍵で泥棒に入られたというのだ。
もしかすると、あの新幹線で出会った兄弟が、千景のアパートを滅茶苦茶にしたのではないだろうか――。
なんの根拠もない考えだった。とつぜん浮かんできたイメージだった。あれは七、八年前の出来事だ。あの兄弟が小学校三年生と一年生だったとすれば、少なくとも、今ごろ、上の子は十六、七にはなっている。
千景と彩と出かけた大阪旅行で、彼女たちは兄弟に出会っていた。
「日曜日の新郎たち」で健吾は、恋人を事故で亡くしたばかりの頃を思い出す。突然田舎から訪ねてきた父にむりやり寿司屋に連れて行かれた。そのとき、アパートの前で母親の帰りを待っているという小学生二人に出会い、父が寿司をご馳走した。7、8年前のことだ。その父も妻を亡くして3年になる。
「忘れようとすればするほど忘れられん。人間っちゅうのは、忘れたらいかんものを、こうやって覚えておくもんなのやろなぁ」
「こうやってって?」
「いや、だけんさ、忘れよう忘れようと努力して……」
「日曜日の運勢」で田端は、職場であるホストクラブのママに訊かれる。
「これまでの人生で、最後までやり遂げたって自慢できることある?」
周囲に(特に女に)流され続けてきた田端は、しかしひとつだけやり遂げたことを思い出す。
数年前、アパートの部屋に母親はいないかと訪ねてきた小学生の兄弟を、引っ越してしまった母親のアパートまで送り届けたのだった。
「日曜日たち」で、兄弟の素性が明らかになる。恋人にDVを受ける乃里子目線でのストーリーだ。
不思議なもので、人間というものはどんな状況にも慣れてくる。殴られない日が続けば、いつの間にか心の中で、もうそろそろ殴られるのだと覚悟を決めるようになる。覚悟さえあれば、殴られることには耐えられる。なぜなら、今日、殴られれば、明日は殴られないで済むからだ。
人の思いは、割り切れない。闇に落ちる事件も、光を見出す出来事も、人と人が、思いと思いが交錯するからこそ生まれていく。
心静かに過ごしたいと、ただただ思う日曜にも、思いもよらぬことだって起こるのだ。
表紙は、わたし的には「日曜日のエレベーター」の渡辺っぽいなと思いました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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