森絵都の『異国のおじさんを伴う』(文春文庫)を、読んだ。
十編からなる短編集だ。
『藤巻さんの道』では、道だけで編まれた写真集を見せたとき、もっとも荒んだ1枚を選んだことから〈僕〉が藤巻さんを女性として意識するようになる。
『夜の隙間を埋める』は、イタリアのアパートでなぜかいつも2部屋だけ停電になるという不可解な出来事に〈私〉は、インド人のミセス・グハーと夜の街を歩くことになる。
『クリスマスイブを三日後に控えた日曜の……』は、恋人のいない〈私〉が友人と過ごすために適当な服を買い物に行くが、混み合ってるなんてもんじゃない伊勢丹に後悔していたときの出来事。〈私〉は、初老の男性が母親に靴を買っているだけだと思ってぼんやり見ていた。以下本文から。
「どうやら雑誌かテレビで目に留めて、ずっと憧れてたそうなんですよ。履きたかったらしいんです。プラダの靴を。それならまあ、生きて立って歩けるうちに履いてもらおうとおもいましてね、はは」
照れ笑いをする男性を尻目に、黒いパンプスを試し履きした老婦人が椅子から立ち上がる。上品な光沢を帯びたエナメルの靴だ。鏡の前を行き来する足取りは病み上がりとは思えないほどかくしゃくとしている。
「やっぱり、最初にピンときたのが一番ね。これにするわ」
「よくお似合いでございます」
「似合ってはいませんよ。でも構わないの。じきに見慣れるわ」
見飽きるまで履いてくださいよ、と男性がひときわ高い笑い声をあげて懐から財布を取りだした。
「そうね。冥土の土産にするにはちょっと惜しいものね」
満足顔の老婦人はエナメルのパンプスを脱ごうとしない。
「お母さま思いでいらっしゃるんですね」
伝票を差しだした店員の一声に、男性は初めて声を出さずに瞳だけで微笑んだ。
「いいえ、ガールフレンド思いなんです」
その他『クジラ見』『竜宮』『ぴろり』『ラストシーン』『桂川里香子、危機一髪』『母の北上』そして表題作。
『クリスマスイブ……』もそうだが、先入観を打ち砕くシーンが核になっている短編がいくつかあり、そこに強く魅かれた。先入観で見ていたものが姿を変えたときの驚きを、確実に捉えているのだ。
常々、先入観を持たないようにとは心がけている。だが、そいつは至るところに隠れていて、わたしを失敗に導く。
今思い出しても赤面してしまう出来事は、22歳の頃のこと。
エレベーターに乗りこんだとき、おじさん(とわたしには思えた歳の頃の男性)に足の先から頭までじろりと見られた(ような気がした)。そのおじさんが横柄な(感じに聞こえる)口調で言った。
「いくつ?」
わたしは、嫌だなあと思いながら「22です」と答えた。
するとおじさんは、呆れたように(見えた)ふんっと鼻で笑って言った。
「何階で降りるかって、聞いたんだよ」
そのビルは、14階までしかなかった。
なんと自意識過剰な若かりし頃の自分よ。わたしは自分の歳を答えたのだった。まあ、そういう失敗を楽しめるほどに失敗も数だけはこなしてきたのだけれど。
森絵都の小説は、末娘も好きでふたりでよく読みました。
今でもたまに会話の端々に、たがいに引用したりします。
ふたりだけが知ってるって訳ではもちろんありませんが、秘密を知った者同士だけの会話的な楽しさがあります。
『藤巻さんの道』に出てきた写真集『道のむこう』です。
アマゾンで中古のみ安価で売られていたので買ってみました。
藤巻さんの道はどれかと探してみましたが、判りませんでした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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