沼田まほかるの短編集『痺れる』(光文社文庫)には、ミステリーと括られるであろう何ともグロテスクな短編が9つ収められている。
『林檎曼荼羅』
認知症を患う女性は、最近の記憶は曖昧だが、過去に忘れられない出来事を抱えていた。12年前に失踪した姑が残していった物があるはずの物入れを探る。
『レイピスト』
脅えながら夜道を歩く女性が、レイプされるシーンから始まる。彼女は不倫相手の子どもを2度もおろしていた。それでも彼は避妊具をつけようとしない。彼に無理矢理押し倒されることはレイプではないのか。彼女は思いもかけず、レイピストと駅のホームで再会する。
『ヤモリ』
人里離れた山の裾野でひとり暮らす女性は、窓ガラスに張りつく白い影法師のようなヤモリに昔腹のなかで死んだ子どもを思い浮かべていた。そこへ生きていればその子と同じ年頃になるであろう青年が、迷いこんでくる。彼は庭仕事をする代わりにしばらく泊めてくれと言うのだが。
『沼毛虫』
認知症の曽祖母が語る過去を、浪人生であるひ孫は、あるときから興味を魅かれ分析を始めた。人の身体に憑りつく沼毛虫と、幼い頃に起こした火事と、初めて恋したギッツァンの話だった。
『テンガロンハット』
古い家にひとり暮らす女性が、ひょんなことから家の修理を頼むことになったテンガロンハットをかぶった風変わりな男。彼は頼まれた修理が終わると、頼まれてもいない場所の修理を勝手に始めてしまう。気の弱い女性は上手く断れず、姉を呼んで追い払ってもらうのだが。
『TAKO』
小学生の頃、見知らぬ男性から春画を見せられ、何かが決定的に変わったと感じた。女性は映画館で毎週隣に座り自分を触ってくる顔も知らない奴を「タコ男」と呼び、心待ちにするようになる。
『普通じゃない』
ゴミの分別徹底を呼びかける老人。それに対抗するかのようにいい加減なゴミ出しをする女性。それをおもしろがる周囲。その一切合切に呆れ、老人を殺すことにした女性。さて、いったい誰が普通じゃないのでしょう?
『クモキリソウ』
庭仕事が好きな女性のもとに、一度枯らしてしまったクモキリソウの鉢が毎年届く。送り主は不明だが、彼女は別れた不倫相手だと思っていた。女性はひとり暮らしで、たまに訪ねてくる妹とその恋人である女の子とその母親と4人で楽しむ食事は、楽しいが少し淋しい。そんな庭に見知らぬ男が現れる。
『エトワール』
7歳年上の妻を持つ吉澤が、自分を大切に思ってくれているのはわかっている。妻、奈緒子との別れ話も進んでいる。それでも、彼と奈緒子との尋常ではない結びつきを感じずにはいられない。夫婦や恋人以上の何かを感じてしまう。
くるぶしのせいで恋に落ちた、と吉澤は言っていた。そんなことが閃くように思い出されて、私は信号が青になったのに発車せず、またクラクションを浴びせられた。
雨の降りしきる夏の朝、店に出勤してきた奈緒子が屈んで、濡れたソックスをくるりと剥いだ。白くかたいくるぶしの陰翳にハッとして、見てはいけないもののように目を逸らす。その瞬間の若い吉澤の心に、奈緒子という女は深々と入り込んだのだった。
きっと、吉澤が百万回奈緒子と別れ、百万回私と結婚したとしても、それでもなぜか吉澤は、私よりも奈緒子の方とずっとずっと強く結びついている。奈緒子という名を唇にのせるときの、あの声の甘さ。
ある日、玄関に置かれていたエトワールローズの鉢植え。〈私〉には、奈緒子が嫌がらせをしているようにしか思えなかった。
現実世界のなかの、本当はどこにでもある狂気。その狂気へと向かわないように、みな必死で生きている。だが裏を返せば、力を失ったとき、心が深く傷ついたとき、何もかもどうでもよくなったとき、いつでも狂気はそばにある、とも言える。決して近づきたくない、けれどいつもすぐそばに寄り添っている狂気が、この小説集の端々に、あぶり出しの絵の如くくっきりと浮かび上がっていた。
しおれた花が、それでもまだ美しい表紙。解説は、池上冬樹。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。