誰もが多かれ少なかれ、自分の身体に違和感を持ったことがあるだろう。
わたしもそうだった。
幼稚園の頃、スカートをはくのが嫌だった。しかし「お遊戯会のときだけは、なんとかはいてくれ」と先生や親に懇願され、しょうがなくスカートをはき、踊った。大人たちにはかされた赤いスカートに、自分じゃなくなったような胸のなかを大きな手で掻きまわされているかのような切なさを覚えたが、「切ない」という気持ちすらまだ理解が追いつかず、ただ「違和感」として記憶に残っている。
女というジェンダーに、違和感を持った最初の出来事だった。
それでもわたしは、セクシュアル・マイノリティで悩むことにはならなかった。
単に、可愛いものや甘やかなものが苦手な〈女〉なのだ。
こういう中途半端な違和感を抱える人は、男女問わず、案外多いのではないか。
収められた5話のうちの2話目「あざが薄れるころ」は、わたしと似たような50代の女性が主人公だった。七五三で着物を着るのが嫌で大泣きした幼少期を過ごし、男性同士の潔いやりとりに憧れ、合気道を始めた。思いもよらず、親子ほども年下の大学生男子とペアを組むことになり、戸惑うのだが。
1話目「小鳥の爪先」は、イケメンと言われる容姿に馴染めない高校生男子。
3話目「マリアを愛する」は、恋人の死んだ元カノの映像を観続ける女子大生。
4話目「鮮やかな熱病」は、周囲の行動に不快な違和感を覚える銀行支店長。
5話目「真夜中のストーリー」は、ネットで少女のアバターを動かす30代男性。
それぞれまったく違う世界を生きているが、ひとつだけ共通点がある。
真夜中ネットで「手が大好きなので、いま起きている人の手の画像をください!」というスレッドを見つけ、心を動かされたり、かきこみをしたりする。
自分のままでいることは、とても難しく、とても大切だ。
そんな気持ちに寄り添う小説集だ。
表紙は、ラスト「真夜中ののストーリー」のイメージだと思います。
帯裏には、北上次郎の言葉が。
私は私でいいのだ、という真実がここからゆらゆらと立ちのぼってくる。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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